鉄道業界インサイド

遠距離通勤が生んだ世界最大の高速鉄道車両 引退近づく2階建て新幹線E4系 (1/2ページ)

枝久保達也
枝久保達也

 地方都市から都心に通う”新幹線通勤族”

 「Max」の愛称で親しまれ、子供にも人気の高かった全車2階建て新幹線のE4系が今年の秋限りで引退する。本来であれば2021年3月に引退する予定だったが、2019年10月の「令和元年東日本台風」で長野新幹線車両センターが水没し、最新のE7/W7系車両10編成が廃車となったため、代替車両の製造が終るまで延命された経緯がある。E4系の引退により、日本の新幹線から2階建て車両は姿を消すことになる。

 新幹線で初めて2階建て車両を導入したのは、1985年にデビューした東海道・山陽新幹線の100系車両だ。従来の0系車両では16両編成の全車両にモーターが付いていたが、100系車両ではモーターの出力が強化されたため、16両中4両はモーターの無い付随車にすることが可能になった。この4両を2階建て車両とし、見晴らしの良い2階は食堂やグリーン席、1階は通路と売店、普通車指定席が設置された。

 100系が開発された当時、新幹線は高速道路の整備や航空機の大衆化により利用者が減少傾向にあった。そこで、新幹線のイメージアップを図り、新しいサービス像を模索した結果が2階建て新幹線であった。しかし、その後に興ったバブル経済は2階建て新幹線の役割を変えていく。

 1985年から1990年にかけて住宅地1平米あたりの平均地価は、東京では29万7000円から85万9000円と3倍近くになり、周辺3県でも地価は大幅に上昇した。一般的な給与所得者が東京近郊に住宅を取得することは困難になり、通勤はどんどん遠距離化していく。

 そこで注目されたのが新幹線通勤であった。1987年10月3日の毎日新聞は「地価暴騰の東京を脱出して、宇都宮、高崎、小田原、静岡などの地方都市に一戸建てマイホームを建て、新幹線で都心の会社に通勤するサラリーマンが猛烈な勢いで増えている」として、「通勤費がかさんでも、東京の高額家賃やローン地獄に比べ、経済的にはずっと楽」という新幹線通勤族の声を紹介している。

 政府も都心の住宅不足・価格高騰に対処すべく、新幹線通勤を推進。1989年1月1日から通勤手当の非課税限度額が月2万6000円から5万円に引き上げられ、企業も積極的に通勤費を支給したため、1987年に1日当たり約1万人だった新幹線の定期利用者数は、1991年には約5万人にまで増加した。

 特に東北・上越新幹線は1991年に東京駅乗り入れを果たしたことで利用者が大幅に増加したが、東京~大宮間を東北新幹線と上越新幹線が共用する関係上、列車の増発が困難だったことから、JR東日本の新幹線は1列車あたりの定員を増やす方向に進化を遂げていく。そして開発されたのが1994年にデビューした初代2階建て新幹線E1系だった。

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