まさかの法的トラブル処方箋

「不倫バッシング」は倫理観の高さの現れなのか 不貞行為にまつわる“誤解” (2/3ページ)

上野晃
上野晃

 不倫。法律上の用語では「不貞」と言いますが、この不貞行為は、民法709条の「不法行為」に該当し、違法であり損害賠償の対象となります。ただ、ここで注意を払う必要があります。不貞という違法行為の保護対象は、「円満な夫婦関係」だということです。つまり、すでに夫婦関係が破綻している場合、どちらかが他の異性と恋愛関係になろうとも、それは「不貞」とはならないのです。

 なので、先ほどの小泉さんと豊原さんの一件で言えば、大騒ぎする前に冷静に、「豊原さんと奥さんの夫婦関係が破綻していたか否か」が検討されなければなりません。それこそが最大かつ唯一のポイントなのです。なのに世間はそうした点など意に介さず、「豊原さんに戸籍上の妻がいる」というただその一点でもって、一斉に非難を始めました。

 戸籍上の妻がいるから「けしからん」のか

 私はこのバッシング現象に興味を持ちました。このバッシングは果たして日本人の倫理観の高さの現れなのでしょうか。私は違うと思います。

 結婚することを、日本では「籍を入れる」とか「入籍する」とか言ったりします。外国、特にキリスト教圏の人たちにとって、結婚=神様に夫婦の契りを誓うことです。なので、結婚式こそが結婚の本質です。

 しかし日本ではそうではありません。籍を入れることこそが結婚の本質であって、結婚式はあくまでセレモニーなのです。日本人にとって、戸籍はとても重要なもので、だからこそ、「籍が汚れる」といった表現もあります。籍が汚れる=他人の目とも言えるかもしれません。

 先ほどの小泉さんと豊原さんの交際に対するバッシング。もし、このバッシングが、「円満な夫婦関係を壊した」ということに対するバッシングであれば、それはきっと倫理的な観点からのものでしょう。法もまた、そうしたキリスト教的倫理観に基づいて運用されているのだと思います。

 しかし、そうではなく、「戸籍上の妻がいるのにけしからん」ということであれば、それはキリスト教的倫理観からくる非難ではなく、戸籍という制度そのものへの信頼を前提として、かかる制度を蔑ろにするのはけしからんというバッシングと理解すべきではないでしょうか。

 こうして考えると、日本人の行動規範は、お上が作ったルールや制度に対する信頼がまず前提にあって、そのルールや制度を誰もが守っていくよう互いが互いに監視をし合う、その緊張感の下で育まれていると言えるのではないでしょうか。

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