ラーメンとニッポン経済

1974-ヨコハマから天下を取れ!「家系ラーメン」発進 (3/3ページ)

佐々木正孝
佐々木正孝

■トラック野郎の創意を乗せ、走り出す家系ラーメン

 90年代~ゼロ年代にメディアに登場する際、吉村はねじり鉢巻代わりのタオル、白Tシャツにニッカボッカというスタイルをアイコンとしていた。粗にして野かもしれないが、卑ではない。そのスタイルに共感を覚えた労働者は多かっただろう。ここで吉村のバックボーンを振り返ろう。彼はもともと長距離トラックドライバー。「生活のために、学歴のない人間が成り上がる手段として、選んだ職業だった」(『ヨコハマ経済新聞』インタビューより)と振り返っている。

 60年代~70年代は、モータリゼーションの進展に伴い、陸上貨物輸送は鉄道からトラックへと大きくシフト。道路交通法が施行された1960年、国内輸送量は鉄道(38.2%)と内航海運(42.3%)が占め、貨物自動車運送は18.5%に過ぎなかったが、その後シェアは逆転。国内貨物輸送量の90%以上はトラックが占めるまでになる。夢をつかむため、悲喜こもごもの一切合財を積みながら暗闇を疾駆する。吉村のようなトラックドライバーたちは無数に列島を走り抜け、夢をハンドルに握り込んでいたのだろう。距離トラックの運転手、一番星桃次郎(菅原文太)とヤモメのジョナサン(愛川欽也)が躍動した人気映画シリーズ『トラック野郎』第一弾が公開されたのは、吉村家創業と同時代、1975年のことだ。

 吉村は当初、横浜市磯子区新杉田の国道16号線に並行する産業道路沿いに拠点を構えた。ここで近隣の工場労働者、そしてトラック運転手らの支持を集め、スターダムへ。そして年月を経るうち、吉村家出身者はもちろん、同店の味にインスパイアされた開業志望者が「○○家」と名づけて独立、開業。さらにそれらのフォロワーからも出身者が巣立ち……吉村が率いる本店も横浜駅西口に拠点を移したが、横浜から神奈川エリア全体に「家系ラーメン群」が形成されていく。そして、トラックが行き交う産業道路「国道16号線」を伝播ルートとし、家系の種は各地に広がっていくのである。

 16号線沿いをたどってみたら、現在の家系シーンの主要店がリストアップできるほどだ。創業の地・新杉田で味を継承するのは直系の『杉田家』で、横浜は総本山の『吉村家』が覇を唱える。町田に進めば、家系チェーンで初めて東証一部上場を果たした『町田商店』(株式会社ギフト)のテリトリー。埼玉を抜けて千葉に進めば柏。ここは近年ラーメン業界を賑わせるインフルエンサー『王道家』の本拠だ。郊外の主要タウンを結び、首都圏をぐるっと囲む日本最強の産業道路。この16号線が揺籃の地となったことも、家系の爆発的な広がりを後押ししたのかもしれない。

 現在の家系は、吉村家や本家直系の本格派が王道を突き進みつつ、16号線のようなロードサイドでは町田商店などのチェーンが多数出店。幅広い層に家系を届け、裾野を広げる役割を担っている。都内では武蔵家や輝道家など、独自の磨き上げでネクストステージを模索する動きも活発だ。

 1974年--元トラック野郎が情熱も創意もフルスロットルで創り出した一杯は、いまだ私たちを惹きつけてやまない。16号線を越え、野を越え山越え都市も越え、家系ラーメンの魂は連鎖を続けている。

佐々木正孝(ささき・まさたか)
佐々木正孝(ささき・まさたか) ラーメンエディター、有限会社キッズファクトリー代表
ラーメン、フードに関わる幅広いコンテンツを制作。『石神秀幸ラーメンSELECTION』(双葉社)、『業界最高権威 TRY認定 ラーメン大賞』(講談社)、『ラーメン最強うんちく 石神秀幸』(晋遊舎)など多くのラーメン本を編集。執筆では『中華そばNEO:進化する醤油ラーメンの表現と技術』(柴田書店)等に参画。

【ラーメンとニッポン経済】ラーメンエディターの佐々木正孝氏が、いまや国民食ともいえる「ラーメン」を通して、戦後日本経済の歩みを振り返ります。更新は原則、隔週金曜日です。アーカイブはこちら

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