ラーメンとニッポン経済

1987-喜多方が牽引! 極ウマ「ご当地ラーメン」の時代 (2/3ページ)

佐々木正孝
佐々木正孝

■ディスカバー・ジャパン 「発見」された喜多方ラーメン

 喜多方市が全国的に知名度を上げたのは1974年のことだ。地元の写真家・金田実が写真展「蔵のまち喜多方」を開催。それまで目を向けられたこともない「蔵」が文化資産、観光資産として一気に急浮上したのだ。1975年には名紀行番組『新日本紀行』(NHK)が「蔵ずまいの町」として喜多方市を紹介。蔵をフィーチャーした観光が盛り上がり始める。

 折しも、1970年には国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が始動。大量移動・大量宿泊のメガ観光から脱却し、ひなびた古都、城下町をマイペースでそぞろ歩く観光スタイルが提唱された。1970年創刊の『アンアン』、1971年創刊の『ノンノ』を小脇に抱えた「アンノン族」が日本の各地を闊歩する。1972年には田中角栄が「日本列島改造論」をブチ上げた。建設・交通への大量資本投下により、列島の隅々までインフラを整備。産業を振興して活性化をにらむ。メディアも政治経済も「地方の時代」に踊った。

 1982年にはNHK『東北の麺』で、ラーメン落語家として知られた林家喜久蔵(現林家木久扇)が喜多方ラーメンを紹介。1983年には『るるぶ』7月号の特集「福島路のんびり旅行」の1ページで「喜多方の味 ラーメン」が掲載された。これは宣伝特集として福島県観光連盟が手がけ、喜多方市観光協会が1ページを確保したもの。行政が猛プッシュし、喜多方ラーメンのプロモーションが始まっていた。

 1985年にはNHK「おはようジャーナル」で「追跡・ラーメンの香り漂う蔵のまち」がオンエア。同年には喜多方市の年間観光が20万人を突破する。1987年には市内のラーメン店が『蔵のまち 喜多方老麺会』を結成し、プロモーション活動をスタートした。発足時に作成したラーメンマップは街歩きの必携ツールになり、その後のご当地食べ歩きマップの先駆とされている。

 タウン誌を手がけるこおりやま情報編集室によると、喜多方市内にあるラーメン店の数は2019年現在で120軒以上。喜多方老麺会には現在も38店が加盟し、たゆまぬ振興活動を続行中だ。一方、同87年には東京・新橋にラーメンチェーン『くら』1号店(現『喜多方ラーメン 坂内』)がオープンする。同チェーンは国鉄関連会社出身の中原明が喜多方の古豪『坂内食堂』、市中で初めて機械打ちの麺を提供した曽我製麺の協力を得て起業している。

 かくして、喜多方老麺会結成の前後から、喜多方ラーメンはトピックに事欠かないボーナスステージに突入。札幌、博多に次ぐ第三のご当地ラーメンとしてフィーチャーされ始め、「蔵とラーメンのまち」として認知度も急上昇を果たしていった。1993年には年間観光客が100万人を突破し、現在に至っている。

 ちなみに旅の販促研究所が行った「食旅調査」(2007年)によると、喜多方市におけるラーメンの「訪問者経験率」は全国50都市中のトップとなる92.5%。これは「市を訪れた観光客のほとんどが喜多方ラーメンを食べている」ことを裏づけるデータだ。昭和初期に潘欽星が種をまき、戦後直後は辛酸を嘗めた引揚者たちが実直な一杯を作り続けた。長い雌伏の時をおくった喜多方ラーメン。培われたスキル、インフラを駆使し、官民が一体となったブランディングで快進撃を続けたのだ。

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