今年度の文化功労者に、食文化の研究で地平を切り開いてきた、元国立民族学博物館館長で文化人類学者の石毛直道さん(83)が選ばれた。食文化は道楽の延長線上とみられ、研究費用が得にくかった時期もあり、「食文化研究が、公的にも認められたことをうれしく思う」と喜ぶ。“鉄の胃袋”と呼ばれ、世界120カ国以上を訪れてきたパイオニアに、「食いしん坊だった」歩みを振り返ってもらった。
ツケがたまって
文化功労者に選ばれたことは、食文化がひとつの研究分野として公的にも認められたことだと大変うれしく、また後進の励みにもなると思います。
かつて、食の研究といえば調理学や栄養学、食材関係の農学といった分野に限られていましたが、もっと大きな視点に立って、暮らしや習慣、自然、歴史、諸外国との比較など、食を総合的に文化としてとらえて研究してきました。
しかし、私は考古学専攻で、当初から食の研究を考えていたわけではありませんでした。京大の人文科学研究所の助手だった30歳の頃に結婚することになったのですが、給料が安かった上に、飲み助だったのでバーのつけがたまっていたのです。何とかしようと自分にできる金もうけを考えたところ、ものを書くほかないだろうなと。
そこで、学生の頃から探検部の活動などでアジアやアフリカを回っていろんなものを食べてきた食体験をまとめ、『食生活を探検する』(昭和44年、文芸春秋)として結婚翌年に出版。それがきっかけとなり、本格的に食全体を文化として研究しようと思い立ったのです。世界的にもそういった研究はなく、誰もやっていないことをやるのは好きでしたから。
食は文化
研究を始めた半世紀ほど前は、「石毛がとうとう学問ではなく、遊びの世界に入ってしまった」と心配してくれた人もいたほどでした。科研費を申請しても認定されるはずがなく、食品関係の企業に支えられました。味の素の創業70周年記念事業「食の文化シンポジウム」では、55年から3年間企画を担当しました。
さまざまな分野の研究者が登壇し、食に関する言葉だとか風土など、食を文化の観点からディスカッションし、後に書籍化された。そして、「食文化」という言葉が社会に定着することになりました。
思い出深いのは、魚醤(ぎょしょう)やナレズシといった魚介の発酵食品の調査です。モンスーンアジアに起源を持ち、中国南西部から朝鮮半島と日本に伝わったという説を出し、漁業生態学の専門家であるイギリス人のケネス・ラドルさんと3年間かけてアジア各地でフィールドワークを行ってまとめました。
好奇心の原点
私は大変な麺好きで、アジア全体に広がる麺の起源や波及を調べる調査も印象に残っています。中国発祥の麺がカスピ海東岸に伝わり、イスラム圏を抜けてイタリアへという仮説を立てました。さまざまな国で現地調査を行い、土地の食べ物を口にし、“鉄の胃袋”との異名をとることにもなりました。
食べたことのないものへの好奇心は強く、シマウマやラクダ、サソリ、ヘビ、豚の生血などを口にしてきましたが、振り返れば幼い頃から、とにかくよく食べる子供でした。
戦災で銚子(千葉県)の自宅が2度も焼けたのですが、食糧難でいつも腹を空かしていました。サツマイモやトウモロコシだけでは量が足りず、湿地でタニシを捕まえたり、ワラビや野草を集めて食べていました。83歳の今も入れ歯や差し歯が一本もなく、硬いものでも何でも食べることができます。酒も好きで、晩酌は一晩たりとも欠かしたことがありません。
私は「食べるために生きている」と思っています。食の研究に一生懸命になれたのは、私が食いしん坊だったことに尽きますね。(談、聞き手=横山由紀子)
いしげ・なおみち 昭和12年、千葉県生まれ。京都大文学部史学科卒業。京大人文科学研究所助手、甲南大助教授などを経て、平成9~15年まで国立民族学博物館館長。専攻は文化人類学で世界各地の食文化を調査、研究している。著書に『食生活を探検する』『食事の文明論』『文化麺類学ことはじめ』など多数。