■「自作の持ち帰り容器を持ち歩く」談志ドケチ伝説
そして、戦後の貧しい時代に生まれた談志は非常にケチでした。
前座の入門当初、談志がなめかけていたのど飴を、もうなめ終えたものだと思って捨ててしまったことで怒鳴られたことがありました。「バカ野郎、なんてことするんだ。まだなめられたのに」と、のど飴を喉から手が出るほどに惜しんでいたものです。
私の真打ち昇進パーティーの会場で出されていたピラフは「談志パック(談志の絵と「食べ物は大切に」などと書かれたオリジナル容器)」に入れて持ちかえり、炒め直しては食べ続けていましたっけ。滞在先のホテルに置かれていた小さな石鹸を「ミカンを入れるオレンジ色の網」に詰めて大事に使っていたものです。まさに「ネット(網)」を当時から駆使していたのです(笑)。
もうここまでくると、ケチというマイナス評価を通り越して、談志のキャラにまで昇華してもいました。
■不快感を自分の力で解決するのが「文化」
「しわい屋」というケチを自慢する落語があります。
あるケチな男が「1本の扇子を10年持たせる方法がある」と言って「半分だけ広げて5年あおぎ、次の5年でそれを畳んで残りの半分を広げて使う」と主張します。言われたケチな男も負けてはいません。「俺はそんなことしない。扇子はそのまま動かさない状態で顔を方を動かす」。
談志は「こいつは見事だ。不快感を自分の力で解決している。文化そのものだ」と絶賛していました。
談志は、文明と文化を次のように定義し、生涯を通してアンチ文明の立場でした。「不快感の解消を自分の手でやるのが文化で、お金で他人や機械にやってもらうのが文明だ」と。
つまり、江戸時代とはそもそも文明が未発達で、文化に頼らざるを得なかった時代でもあったのです。そんな環境だからこそ、落語のような大衆娯楽が生まれたのだと考えていました。だから、貧乏に戻ることは、現代人が文化を取り戻す良いきっかけになるといえるわけです。
もちろん談志とて現代人です。多少の文明の恩恵は享受しつつも、「なんとかして文明の思い上がりを食い止めよう」と文化人としての気概を、落語を通じて訴え続けていたような感じでした。芸人ゆえの茶目っ気があふれていましたから、徹底して文明批判を貫くような活動家的なポジションでは決してありませんでした。
■文明社会のなれの果て
ところで、このまま文明がアクセル状態を続けてゆけばどうなるのでしょう?
いまや地球環境が悲鳴を上げています。
富と成功の象徴としての億万長者が利用するプライベートジェットのCO2排出量は、長距離バスの10倍、高速列車の150倍とまで言われています。
そう考えて見つめてみると、「SDGs」が叫ばれるはるか以前から談志はこの現況を笑いと共に訴え続けていたのかもしれません。マルクスが再評価され、ピケティが注目され、斉藤幸平さんの『人新世の資本論』がベストセラーになったりと、こういう時代を談志は想像していたのかもしれません。天才にはきっと見えていたはずです。