史実「日本だった韓国」を切り取り… 研磨し過ぎでバーチャル世界に踏み込む?

 
「3・1独立運動」の記念式典で演説する韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領。歴史を正視すると永久に自信を取り戻せない韓国は、歴史の粉飾・捏造をお家芸にしている=2016年3月1日、韓国・首都ソウル(ロイター)

【野口裕之の軍事情勢】

 「韓日関係に新たな章を開くことを願う」

 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領(64)が1日に行った演説にギクリとした。韓国憲法に「新たな章」が挿入され、《大韓帝国(1897~1910年)が大日本帝国を併合した》などと、歴史をまた捏造するのではと、いくら何でも絶対に有り得ぬ想像を巡らしてしまったのだ。

 《3.1節》式典での演説20分間の内、日韓関係部分はわずか2分であった。北朝鮮の脅威や経済悪化を受け、関係改善が不可欠なためで、感心するほどの豹変ブリではある。とまれ、韓国では憲法上、韓国が日本と成った《日韓併合/1910~45年》は存在せず、代わりに併合期の《3.1運動/19年3月1日》を起点とする建国物語が記されている。

 小欄は3.1を反日暴動、韓国は「独立運動」と認識するが、たった2カ月で収束。米国の独立戦争(1775~83年)のような長期・大規模戦争を思い描くのは誤り。日本国憲法も“不磨の大典”を気取り進化を放棄しているが、韓国憲法は研磨し過ぎでバーチャル世界に踏み込んだ。生い立ちのいかがわしさ故に出来の悪い日本の欠陥憲法の方が、まだマシか…。

 ひどい曲解の前文

 韓国憲法前文にはこうある。 《悠久の歴史と伝統に輝くわが大韓国民は、3.1運動で建立された大韓民国(韓国)臨時政府の法統…を継承》

 朝鮮人が日韓併合期の3.1運動に際し独立を宣言した点は史実。ただ、憲法が宣言を捉え、建国をうたうのは無理スジだ。このシナリオだと、韓国は大韓帝国の正統後継国家で、日韓併合は史上存在しなくなる。《大韓帝国→大日本帝国→米国軍政→韓国》との正史ではなく《大韓帝国→日本の植民地→臨時政府→韓国》との虚構だ。日韓併合は国際法上合法だったが、朝鮮も大韓帝国も世界地図から消えた哀史を正視できていない。

 3.1運動は2カ月で終わった上、参加者は多いが服役者は少なく、量刑も軽かった。何よりも初代大統領・李承晩(イ・スンマン、1875~1965年)が大東亜戦争(1941~45年)後の1948年に行った独立宣言の正統性まで問われかねず、運動に建国の起点を見いだすのは難しい(諸説アリ)。 

 確かに臨時政府は19年、中華民国・上海で結成され、その後、各地を転々とした。ところが、適性を疑われ連合・枢軸国双方が国際承認を拒んだ。

 大東亜戦争後も米国は、朝鮮は国家でなく日本だったと公認。日本の統治権を取り上げ直接軍政を敷いた。米国は38度線以北に陣取るソ連軍をにらみ(1)統治能力欠如(2)度し難い自己主張や激高しやすい民族性(3)偏狭な民族主義や共産主義の跋扈…など、信頼性を欠く韓国に国家権能を与えたくなかったのだ。実際、「臨時政府主席」の金九(キム・グ、1876~1949年)は個人資格で“帰国”。自伝で憂いた。

 《心配だったのは(大東亜)戦争で何の役割も果たしていないため、将来の国際関係において、発言権が弱くなること》

 一蹴された連合国資格

 そう。近代に入り、日本と朝鮮は本格的に矛を交えておらぬ。まともな対日ゲリラ抗戦もゼロ。韓国は「日帝を負かして独立した」のではない。終戦3年後、半島で統一国家建設をたくらむソ連に対抗した対日戦勝国・米国が長期信託統治を断念。米国に独立を大きく前倒ししてもらった棚ぼた式だった。

 にもかかわらず、韓国の「連合国願望」は筋金入りだ。

 李承晩は長崎県・対馬の「返還」要求と抱き合わせで、領土も画定する「サンフランシスコ講和条約署名国の資格が有る」と49年、米国に訴えた。戦勝国=連合国入りさせろ-とゴネたのだ。駐韓米大使は米政府に口添えした。ワケがある。

 韓国は在日朝鮮民族の連合国民扱い=賠償を求めるなど国際の法・常識を無視する数多の無理難題を吹っ掛けたが、日本は無論、米国もほぼ飲めぬ内容だった。米国は難題を抑え込むべく、韓国の署名要求を預かり、条約草案で一旦は締結国リストに加えた。

 だが、日韓は戦っていないと英国が異を唱え、朝鮮戦争(1950~53年休戦)を共に戦っていた米国も英国にならう。米国は《連合国共同宣言》への署名(42年)がないとも指摘したが、韓国は執拗に食い下がった。宣言参加国は最終的に47カ国。全物的・人的資源を対枢軸国用戦力に充てる方針に同意していた。間の悪いことに、フィリピン独立準備政府や多くの亡命政府も参加していた上、連合国(United Nations)なる用語が宣言で正式採用された。交渉過程で韓国は、日本の講和条約締結を終始妨害し、島根県・竹島の韓国編入すら主張した。結局、韓国が得たのは在朝鮮半島の日本資産移管のみ。講和会議へのオブザーバー参加も拒絶された。

 棚ぼた式の独立

 日本だった朝鮮の人々は、欧州列強の植民地兵のごとく人間の盾にされもせず、日本軍将兵として戦った。朝鮮人の軍人・軍属は24万2000人以上。朝鮮人高級軍人の目覚ましい武勇に触発され、志願兵の競争率は62倍強に沸騰した。2万1000柱の英霊が●(=鯖の魚が立)國神社に祭られる。

 国際社会に連合国資格を一蹴されても、韓国は歴史の粉飾・捏造に耽った。臨時政府は40年、中華民国内で《韓国光復軍》を立ち上げる。韓国の教科書にも載るが、2013年の光復軍創立73周年、韓国メディアは光復軍について講釈した。

 《英軍と連合して1944年のインパール戦闘をはじめ、45年7月までミャンマー(ビルマ)各地で対日作戦を遂行した》

 実は、光復軍の動員計画は遅れ、創設1年目の兵力は300人。米CIA(中央情報局)の前身で抵抗活動を支援するOSS(戦略諜報局)協力の下、朝鮮半島内で潜入破壊活動を考えたが、日本降伏が先になった。

 作家・池波正太郎(1923~90年)によると、剣客は真剣での立ち合いに敗れると、相手と10年後の勝負を契る。再び負ければさらに10年後と、勝って自信を取り戻すまで挑み続ける。

 日韓関係は池波の逸話とは微妙に違う。韓国は日本と戦ってはいない。独立を勝ち取ったのでもなく、日本を負かした米国の進駐で、棚ぼた式に日本統治の終わりを迎えた。従って、歴史を正視すると永久に自信は取り戻せない。取り戻すには、歴史の粉飾・捏造が手っ取り早い。

 邦家の命運を外国に委ねる日本のお粗末憲法でさえ、歴史はデリートしてはいない。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS