事件後、周辺は一時騒然となり、武装警察が直ちに現場を封鎖。長安街や最寄り駅の地下鉄1号線・天安門東駅の出入り口も封鎖された。救急車や消防車も出動し、負傷者の救護を続け、居合わせた観光客らが携帯電話で撮影した写真をインターネット上に掲載したが、当局が規制を強化したとみられ、次々に写真が削除された。
中国の短文投稿サイト「微博(ウェイボ)」には、車両にひかれたとみられる男女の写真が一時掲載され、男性は下を向いて嘔吐し、女性は片手で顔を覆っていた。女性の隣には、欧米からの外国人客とみられる男性が不安そうな表情を浮かべ、女性の肩に手を差し伸べていた。
相次ぐ「無差別型」事件
1976年と89年の2度にわたり、大規模抗議行動が起きた天安門広場とその周辺は、中国当局にとって政治的に最も敏感な場所の一つといえる。普段から大勢の警官が目を光らせているほか、大量の警察車両が配置されており、一般車両が歩道に乗り入れることはまずあり得ず、車はかなりのスピードで意図的に進入した可能性が高い。