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皇帝去り 王子へバトン託す プルシェンコ引退表明 羽生「僕のヒーロー」

2014.2.15 00:02

SPで史上初の100点超え(101・45点)を記録した「氷上の王子」羽生結弦=13日、ソチのアイスベルク・パレス(大里直也撮影)

SPで史上初の100点超え(101・45点)を記録した「氷上の王子」羽生結弦=13日、ソチのアイスベルク・パレス(大里直也撮影)【拡大】

 ソチ冬季五輪のフィギュアスケート男子で、個人種目での4大会連続メダルを狙ったエフゲニー・プルシェンコ(31)=ロシア=が13日、腰の故障を理由にショートプログラム(SP)の演技直前に棄権し「フィギュア人生の終わりだと思う。競技人生の終わりでいい演技をしたかった」と現役引退を表明した。その引退表明から2時間後、SPで史上初の100点超え(101.45点)を記録し、世界を驚嘆させたのが、圧倒的な存在感で「皇帝」と呼ばれたプルシェンコに憧れて、その背中を追うように技を磨き続けた「氷上の王子」こと羽生結弦(はにゅうゆづる)(19)=ANA=だった。

 ■SP直前に棄権

 個人種目で、2002年ソルトレークシティー五輪・銀、06年トリノ五輪・金、10年バンクーバー五輪・銀の各メダルに輝いたプルシェンコは、今大会では新種目の団体で男子SP(2位)とフリー(1位)の両方に出場し、母国を金メダルに導いた。13日も、ソチのアイスベルク・パレスを埋め尽くしたファンは、誰もが「皇帝」の華麗な演技を期待していた。

 だが、本番直前の6分間の公式練習で会場に衝撃が走った。プルシェンコは3回転半ジャンプでバランスを崩し、顔をしかめて両手で腰を押さえた。アレクセイ・ミシン・コーチらと話し合った後に審判員に棄権を告げ、無念そうな表情で両手をスタンドに振った。

 「きのう(12日)の練習の4回転ジャンプで転倒し、慢性的な腰痛が再発した。痛み止めを飲んだが右脚にも痛みが出た。腰にナイフが刺さったようだった」。色めき立つ報道陣を前に、憔悴(しょうすい)した様子で説明した。

 昨年1月に腰を手術。団体ではカリスマ性あふれる演技でロシアの優勝に貢献したが、以前から「個人種目は故障を理由に棄権するのでは」とのうわさはあった。記者から「棄権は計画的か」と問われると「最後まで演技するつもりだった」と反論。今後の活動については「長い休養が必要だ。それからリハビリを始めて、たくさんのアイスショーで滑りたい」と述べた。

 ■感動の演技に謝意

 突然の棄権、引退表明に選手たちの間で最も衝撃を受けたのは、個人戦でのプルシェンコとの夢の初対決を楽しみにしていた羽生であったに違いない。

 「スケートを始めて、一番最初に好きになったのがプルシェンコ。彼は僕のヒーロー」と公言してはばからない羽生。幼稚園のころから「五輪に出てメダルを取る」と言っていたが、本格的に意識したのは、7歳の時にテレビで見たソルトレークシティー五輪がきっかけだった。

 金メダルのヤグディン(ロシア)と銀メダルのプルシェンコの息が詰まるような4回転ジャンプの競演。「(五輪の)夢を持つきっかけになった」と羽生は話す。幼いころは髪形もマッシュルームカットのような「プルシェンコカット」に。

 憧れのプルシェンコが今大会前、「個人戦で金メダルの可能性が一番ある」と“後継者”に指名したのが羽生。団体のSPでプルシェンコを破り、エース交代を告げるように引導を渡したとも言える羽生は「(団体で)最後に一緒に滑れて本当にうれしかった。今まで感動の演技を届けてくれてありがとうと言いたい」と、プルシェンコへの感謝の言葉を口にした。

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