「とてもいいチャンスをいただきました。先生の話はすぐに快諾しました。人がやっていないことをやりたい、が私のモットーなのです。若いうちじゃないと冒険はできません。最初は下痢をしたり顔中蚊に刺されたり生活は大変でしたが、子供たちを教えることに戸惑いはありませんでした。学生のうち300人はスラムの貧しい子供たちです。学校はインドの多様性を反映しているのです」
今まで以上に練習
中学3年生のとき、バイオリニスト、五嶋みどりのコンサートに行き、五嶋が毎年行っている、アジアの国々に生演奏を届ける「ミュージック・シェアリング」の存在を知った。
「私も、五嶋さんと同じような活動をしてみたい、と思いました。音楽大学でなく慶応大学に行ったのもいろいろなことを学びたかったからです。インドに来て、不思議といくつもの道がつながりました」
はじめは1年契約だったが、外国人講師でははじめて2年目も請われ、引き続き教えている。