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「読む」を超えた「夢見る」文学ゆえ 「日本SF展・SFの国」 椹木野衣 (2/5ページ)

2014.8.25 07:15

真鍋博「にぎやかな未来」(1978年)愛媛県美術館蔵(提供写真)

真鍋博「にぎやかな未来」(1978年)愛媛県美術館蔵(提供写真)【拡大】

  • 小説「時をかける少女」(盛光社)筒井康隆、1967年(提供写真)
  • 大伴昌司「バルタン星人」図解下図_弥生美術館蔵。(C)円谷プロ
  • 大伴昌司「ゼットン」図解下図_弥生美術館蔵。(C)円谷プロ
  • 小松左京「日本沈没」制作メモ_個人蔵(提供写真)
  • 大伴昌司の墓参に集まったSF作家たち(前列左から)田中光二、星新一、眉村卓、矢野徹、荒巻義雄、石川喬司、南山宏、堀晃、平井和正。(中列左から)小野耕世、斎藤伯好、伊藤典夫、山田正紀、かんべむさし、横田順彌(後列左から)高斎正、豊田有恒、小松左京=1978年、鎌倉霊園(神奈川県鎌倉市、提供写真)

 ところが他方でSFは、純粋に読むことから逸脱するこの楽しさゆえ、純文学の世界から周到に排除されてきた。純文学の「純粋」たるゆえんは、文字だけで紡がれる世界に特化し、目前の現実をいかに捉えるかに神経を注いだ。その最たるものが「私小説」ということになるのだろう。ところがSFとは対照的に、私小説では夢見ることは一切許されていない。というよりも、現実からの離脱はリアリズムを旨とする活字文学にとっては不純なのだ。SFに至ってはいうべくもない。

 排除されて隆盛が

 こうして純文学と周縁文学からなる価値の階層がかたちづくられ、前者は文壇と文芸誌と文学賞によってその価値が担保されてきた。他方、SFやミステリーはそうした価値の基準を満たさない未熟な文学として扱われた。だからこそ積極的に外部へと、すなわち映画化やテレビドラマ化へと触手を伸ばし、発表の場を自身の手で作るために同人誌や同人の大会を進んで組織した。後者の流れが現在、隆盛をきわめるアニメ文化やコミケといった日本を代表する一大文化潮流にまで成長したのは言うまでもない。

美術界でも同じことが

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