【試乗インプレ】「馬車」で読み解く初期の自動車史 トヨタ博物館見学記(常設展示・前編)

 
トヨタ博物館

 2000GT特別展に続いてのトヨタ博物館見学記。今回は常設展示紹介の前編として、自動車が発明された19世紀後半から1950年代に焦点を当てる。見学にあたっては、博物館の車両学芸グループ主幹・次郎坊浩典さんにじっくり2時間かけてご案内いただいた。次郎坊さんの解説は非常に詳細かつ多岐にわたるので、すべてを文字にすることは難しいが、特に印象深かった部分を私の感想も交えて構成していく。奥の深い世界の自動車史の一端をのぞいてみよう。(文と写真:産経新聞大阪本社Web編集室 小島純一)

 社会的使命感うかがわせる3つの特徴

 トヨタ博物館の展示の特徴は大きく3つある。1つ目は動態保存。展示されているほぼ全車両が、エンジンを始動できる自走可能な状態で保存されているのだ。展示車両を敷地内で実走させるデモンストレーションも年2回、春と秋に行われている。製造から半世紀を超えている車両が大半であることを考えると、これは驚くべき取り組みと言えるだろう。

 2つ目はトヨタ製のクルマだけでなく、国産他メーカーの車種を含む日米欧の名車を展示していること。展示台数はむしろ輸入車のほうが多い。

 3つ目は年代別展示であること。発明間もない自動車産業の黎明期からハイテク満載の現在に至る世界の自動車史を、各時代の代表車種を見ながら、まさに立体的に学ぶことができる。本稿が年代別に前後編を分けたのもこれに倣っている。

 これら3つの特徴からは、メーカーという枠組みを越えて、自動車産業発展の歴史を後世に伝えんとするトヨタの強い社会的使命感がうかがえる。

 希少な展示車両を見ているだけでも十分に面白いのだが、時間に余裕のある方には無料のガイドツアーがおすすめだ。それぞれの時代背景を解説してもらうことで、自動車に対する見方がどんどん深まっていくからだ。定時のガイドは午前と午後に1回ずつ、定時以外での希望や英語での案内についても対応してくれる。

 馬車から自動車へ

 19世紀後半、馬車に替わる新しい輸送手段として、自動車は欧州で発明された。何をもって史上初めての自動車とするかについては諸説あるが、トヨタ博物館では1886年のベンツ・パテント・モトールヴァーゲン(レプリカ)を史上初の自動車として、年代別展示の先頭に置いている。

 発明間もないころの自動車は、現代の我々がイメージするクルマとはずいぶんと形が異なる。車輪は大きく細く、座席は高く、ボンネットがなく、チェーン駆動で機械部分が全部むき出し。エンジンを外して馬に曳かせれば、そのまま小型の馬車の造形である。つまりは動力を馬からエンジンに替えただけのものが自動車の始まりということになる。

 馬車の名残は時代を経るごとに薄まっていったが、現在でも使われていて誰もがよく知る用語が残っている。エンジンの出力性能を表す「馬力」は、ざっくり言うと、1頭分の馬の力を1として出力の大きさを示す単位である。たとえば2馬力であれば、馬2頭分のパワーを持つエンジンという具合。輸送の動力源としての馬が生活に密着していた欧米の人々にとっては、直感的に分かりやすい数値だったのだろう。

 蒸気機関が優位、内燃機関は少数派

 黎明期の自動車は蒸気機関、電気モーター、内燃機関(ガソリン)と3つの動力方式が競い合っていた。当初、運転が容易でスピードが出るなどのメリットから蒸気機関が優位に立っていたが、石油採掘・精製技術と内燃機関技術の発達に伴い、自動車用動力としての蒸気、電気は廃れていった。

 この構図は、内燃機関(ガソリン、ディーゼル、LPガスなど)、電気モーター(燃料電池式含む)、ハイブリッドと複数の動力方式が次世代の勢力を競い合っている現在の状況と似通っていて興味深い。30年後、かつての蒸気機関のように内燃機関は淘汰されるのか…などと思いを巡らすのも一興だ。

 そのころ、日本は人力車だった

 欧米で自動車産業が産声を上げ、着々と成長を遂げていったそのころ、ちょうど明治維新を迎え近代国家へと生まれ変わろうとしていた日本はどうだったか。展示を見て正直愕然としたのだが、当時の日本で人を乗せる車輪付きの乗り物は人力車だった。

 徳川幕府の鎖国300年で、近代化が遅れたのは当然影響していると思うが、それ以外にも理由がありそうだ。

 欧米では自動車が発明される何世紀も前から馬車が使われ、快適に移動できるように街路には石畳、つまり交通インフラが整備されていた。

 これに対し、日本では山がちの地形のせいか、車輪付きの乗り物に人を乗せるという発想がそもそもなかった。近世までの日本で人間の移動手段と言えば、徒歩以外では籠か牛馬の背に乗るくらいしかない。車輪のついた輸送手段もあるにはあったが、それらはいずれも牛車などの荷車、あるいは祭祀で使われる山車。人を乗せるために作られたものでないから、快適性に重点を置いた車輪用の交通インフラ整備はされなかった。

 人力車からたったの100年ちょっとで、日本の自動車産業と交通インフラが欧米のそれに伍する水準にまで高まったのは一人の日本人としてとても誇らしい。

 しかし同時に、馬車時代から連綿と続く文化(哲学と言うべきか)的背景を持たない日本のクルマが依然追いつけない部分が残っていることも、この欧米自動車史との違いを知るとなんとなく腑に落ちるのである。

 フロント搭載、リア駆動へ

 馬車然とした造形が大きく変化したのは、エンジンをフロント搭載にしたあたりから。前部のボンネット内にエンジンを積み、チェーンではなくプロペラシャフトで駆動力を後輪に伝える方式、今で言うところのFRが主流となった。この構造変化によって、大排気量、大出力の大型エンジン搭載が可能になって、性能が大幅に向上。さらにキャビンを低くでき低重心になったことで、乗り降りが容易になり、走行安定性も高まっていった。

 大衆化を加速させたT型のイノベーション

 20世紀初頭の最大のトピックはやはりT型フォード(1908年、展示は1909年生産モデル)だろう。

 ベルトコンベヤーを導入した流れ作業による大量生産(ライン生産方式)で製造コストを抑え、販売価格を一気に低廉化して、幅広い所得層に自動車を開放したこのモデルは、自動車産業のみならず、すべての製造業、そして工場労働のあり方を大きく変革した象徴的な工業製品と言える。

 チャップリンがフォードでの工場見学に着想を得て制作した映画「モダン・タイムス」(1930年)を引用するまでもなく、ライン生産は工場経営者と消費者にとってメリットの多い方式である一方、単純作業の反復が労働者の人間性を喪失させるという批判もある。しかしながら、T型の生産でフォードが確立したこの方式に大手の競合各社が追従、敷衍したことで、現在に至る自動車の大衆化が大きく進んだこともまた事実なのだ。

 欧州ではレースが流行

 いち早く大衆化が進んだアメリカに対し、欧州ではまだ自動車は高価で、ユーザーは上流階級がほとんどだった。そのせいもあってフランスを中心に、自動車の使い道として趣味性の高い自動車レースが盛んに行われた。公道から始まったレースは専用のサーキットが作られて本格化。国際レースも開催されるようになり、各メーカーが自社の工業技術の高さをアピールする場として、ひいては国威発揚の場へと盛り上がっていった。

 ブリティッシュグリーン、イタリアンレッド、フレンチブルーなど、国を象徴する色でレース車両を塗装する「ナショナルカラー」は国際レース発祥である。

 屋根の形状と名称に馬車の名残

 黎明期の自動車には屋根なしのものが多い。つまり自動車は最初オープンカーだった。FR駆動のボンネット型が主流になってもしばらくは幌屋根である。また、開閉可能な幌屋根を「カブリオレ」、2人乗りを「クーペ」と呼ぶがこれらはすべて馬車に由来する。

 最近はあまり聞かなくなったが、「ハードトップ」というスタイルがある。初めて聞いた時は、「屋根が固いのなんか当たり前じゃないか」と思ったものだが、これも初期の幌屋根(=ソフトトップ)が金属製の屋根(=ハードトップ)に進化したことから対義的に生じた呼称。馬車の幌屋根を知らない現代人がピンと来ないのも無理はない。

 ボディーを作っていたのは自動車メーカーにあらず

 現代の乗用車はほとんどがシャシーとボディーが一体となったモノコック構造になっているが、1950年代あたりまではシャシーとボディーは別構造だった。自動車メーカーが作っていたのはエンジン、パワートレイン、サスペンションなどを載せたシャシー部分だけで、その上に架装するボディー内外装はコーチビルダーと呼ばれる専門メーカーに委託していたのである。

 コーチビルダーの「コーチ」というのは馬車の一形態で、つまりは自動車の発明以前から馬車を作っていた製造業者が、馬車から自動車の時代に変わった後もそのノウハウを応用し、ボディーメーカーとして業態を変化させたというわけ。

 1950年代以降、ボディーのモノコック化が進むと需要が縮小、コーチビルダーは自動車メーカーに吸収されるなどして衰退していった。

 他にも流線形の話など興味深いトピックはいろいろあったが、涙を飲んで割愛。今回取り上げたそれぞれのトピックも、だいぶ端折った内容になっている。本文で書ききれず、画像のキャプションで補ったところもあるので、そちらにも目を通していただければと思う。興味が湧いたら、実際に博物館を訪れることを強くおすすめする。クルマ好きだけでなく、近現代史に興味がある方にもサイドストーリー的に楽しんでいただけること請け合い。

 さて、前編はここまで。あす11日掲載予定の後編では1950年代から2000年代までを取り上げる。前編では少なかった国産車の展示も多く、読者の皆さんにも馴染み深い懐かしいクルマが多数登場する。どうぞお楽しみに。(産経ニュース/SankeiBiz共同取材)

 博物館では現在、通常の展示に加えて、親子で楽しめる「ト博夏フェス!2017」を開催中(10月9日まで)。「企画展 再発見!はたらく自動車 ―タクシーの世界―」のほか、土日には屋外で消防車やキャリアカーの実演なども予定されている。

■トヨタ博物館

所在地 愛知県長久手市横道41-100

開館時間 9:30~17:00(入館受付は16:30まで)

入館料 大人1000円、中高生600円、小学生400円、未就学児無料、65歳以上500円

※団体や学校行事、会員証提示の場合は割引料金あり。詳しくはこちらを参照。

休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始

見学・問合せ専用電話番号 0561-63-5155