消えたフィリップス曲線 アベノミクス第3の矢 全力で

論風

 □経営共創基盤CEO・冨山和彦

 消費税増税が再延期となった。アベノミクスに誤算があったのか?

 消費や投資マインドにとって、デフレは好ましくないし、為替の正常化はグローバル企業の業績、株価やそこで働く正社員の賃金にはプラスに働く。この点、アベノミクス第1の矢である大胆な金融緩和は奏功している。

 他方、円安は地域密着のローカルな経済圏にはあまりメリットがない上に、今やわが国ではこの領域で働く人々が全体の7~8割を占めている。これは米独でも共通の構造的な現象で、円安にこの比率を逆転する力はない。これもある意味、はじめから分かっていたことで、だからこそ2年前から安倍晋三政権はローカルアベノミクスとして長期的な成長施策である地方創生を始動している。

 ◆米国でも連動性薄れる

 次に金融緩和から物価上昇への道筋として期待されるフィリップス曲線、すなわち失業率低下が物価上昇と連動する現象が、なかなか顕著に起きない問題がある。実は米国も同様で、大胆な金融緩和後、歴史的な低失業率が数年にわたり続いているのに、賃金も物価も上昇ペースが鈍い。もはやタイムラグでは説明困難な「フィリップス曲線の消滅」(正確にはフラット化)である。

 グローバル化の時代、「モノ」は世界中からどんどん入ってくるので、国内の失業率が下がっても、そうそう価格は上がらず、企業も賃金を上げにくい。急成長中のインターネット系ビジネスに至っては、限界費用ゼロで無尽蔵に供給できる。今や国単位の金融政策が物価に及ぼす効果は限られているのだ。加えて、新興国経済の減速で、「モノ」の世界はますます供給過剰。

 すなわちこの問題は、日本の政権である安倍政権でどうなる問題ではない。言い換えれば、世界中、誰が、どこで、どんな経済政策を打っても克服できない根深い構造問題である。

 財政再建問題を抱える中、かかる構造的な問題に、財政出動の効果も限られている。少子高齢化と人口減少で、今後、社会保障費負担が加速度的に増加する「合理的期待」が存在する中、それを超えて賃金が持続的に上昇する合理的期待を人々が持てなければ、財政による景気刺激策に消費行動を持続的に変える力はない。その意味で、産業的には非製造業部門、働き方としては非正規雇用セクターに光を当てて賃金上昇を目指す「一億総活躍」政策は、それなりに的を射てはいる。もちろん即効的な政策があまりないのも事実なのだが。

 結局、私の視点からは、今日に至るまでのアベノミクスの展開はほぼ予想通りであり、「誤算」はあまり感じないのだ。

 ◆主役は民間経済

 人手不足時代に入り、今後さらなる生産労働人口の減少が長期的に進む中、持続的な賃金上昇を実現するために集中すべきは、やはり生産性の向上である。特に、わが国経済の7割を占め、世界の供給過剰の影響から比較的自由なサービス業を中心とするローカル経済圏の生産性革命に向け、成長戦略のエンジンを思い切り吹かすこと。欧米主要国と比べ労働生産性(時間当たり付加価値生産額)が圧倒的に低いということは、その伸びしろは大きいということだ。加えて人手不足社会の日本で、生産性向上で不幸になる人はほとんどいない。むしろ労働生産性の向上は賃金の持続的上昇に直結する。

 経済成長の主役はあくまでも民間経済であり、政策としての成長戦略メニューに即効的、直截的なものはほとんどない。だからこそ早めに大胆な施策を打っておくことが重要である。労働市場改革や人工知能(AI)などの技術革新を活用したイノベーション推進をはじめ、やるべきことはめじろ押しだ。参院選に勝利した今こそ、元祖アベノミクスの第3の矢、「成長戦略の矢」を全力で放ちまくるという原点に戻るべしである。

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【プロフィル】冨山和彦

 とやま・かずひこ 東京大学法学部卒業、スタンフォード大学経営学修士(MBA)修了。1985年ボストンコンサルティンググループ入社、産業再生機構代表取締役専務(COO)などを経て2007年経営共創基盤(IGPI)設立。13年4月から経済同友会副代表幹事。56歳。和歌山県出身。