高橋昭雄東大教授の農村見聞録(41)
飛び立つミャンマー■コーカン内戦に巻き込まれて(上)
あれから丸2年が過ぎた。2015年2月23日、ミャンマー国軍のヘリコプターで私はシャン州ラーショーの国軍基地に降り立った。内戦のど真ん中から、命からがら脱出してきたのである。
2月9日、コーカン人(民族)で組織されるミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)が、同じコーカン人で構成されるコーカン自治区政府に対して武装蜂起し、その後ろ盾となっているミャンマー国軍との間で戦闘が始まった。私はその日、シャン州北東部、中国と国境を接する同自治区コンジャン郡の山中で農村調査中だった。今回と次回は、この戦乱の地に図らずも取り残されたために、ミャンマーの内戦を内側から見ることになった経験を振り返ってみる。
◆調査中に戦闘開始
15年2月2日に初めてコーカン自治区を訪れた私は、翌日からマンロー、チンサイタン、チサンの各村の社会経済調査を行った(15年5月1日付「農村見聞録(25)」参照)。
8日、現地で農村開発プロジェクトに携わる吉田実さんと合流し、さらに奥地のコンジャン郡に移動した。その時には、たまたま私が訪ねたこれらの村が内戦の激戦地の一つになるとは思いもよらなかった。ゲリラたちは私が立ち去るのをごく近くで監視していたに違いない。
翌9日、コンジャンの町からさらに山を分け入ったチャーティーモーという村に私はいた。最初に訪ねた家では、四輪駆動車2台と乗用車1台が車庫に納まっていた。大邸宅の屋根にはソーラーパネルが張られ、シャワールームでは大きな孔雀(くじゃく)が飼われていた。なぜ、こんな山奥にこんな金持ちがいるのだろうか。私はがぜん興味がわき、その所得源を根掘り葉掘り聞くことにした。
ところが、広めの茶畑とまだ収穫期に入っていない多数のクルミの木があるだけで、どうも所得とこの家の資産が釣り合わない。さらに食い下がると、同行者が「これ以上聞くのは無理なので、やめましょうよ」と言い出す始末である。
そこにコーカンの農業局から「戦争が始まったのでコンジャンの町へすぐ引き返せ」との一報が入った。この家の調査を泣く泣く諦めた私は、それでももう一軒訪ねて、この村の経済の深層に迫ろうとしていた。
インタビューを続行していると、「とにかく調査をやめて引き上げてくれ」との電話がひっきりなしにかかってくる。仕方なくコンジャンに引き上げる途中、電話もインターネットも繋(つな)がらなくなった。
◆医官らが先に逃走
コンジャンの町でただ一つの旅館を営む中国人経営者は逃げてしまったため、その夜は国軍のコンジャン基地のゲストハウスの個室で過ごした。ところが、翌日は会議室のようなところで雑魚寝(ざこね)することになった。
この基地のトップである中佐は早々と負傷して不在、その夫人と家族が銃を持って臨戦態勢をとっていた。壁を見ると、軍人の組織図の横に、軍人家族の組織図も掲げてある。夫が死傷しても、妻は基地に残って戦わなければならないようである。
何十人もの軍人家族とコンクリートの床で雑魚寝するのを避け、11日は農業局で過ごすことにした。夜7時ごろ、パソコンに向かっていると、「パンパンパン」と花火のような音がして時おり火花も見える。ところが花火にあらず。銃撃戦が始まったのである。
さすがに恐ろしくなり、電気を消して炊事場で伏せた。丘の上にある諸官庁のビルマ人公務員たちもここに避難してきて、緊張した面持ちでじっと息をひそめていた。
12日の朝、公務員たちが続々とオートバイや車で町を脱出していった。「自分には責任があるから最後までここに残る」と前日までは言っていた医官や通信官たちが真っ先に逃げ出したのには驚いた。私の運転手と助手も中国との国境の向こう側へ消えていった。彼らの中には途中で追剥(おいは)ぎにあっていまだに行方知れずの者もいる。吉田さんと、幾多の戦地をくぐり抜けてきた彼の運転手が一緒にいなければ、私も逃げ出していたかもしれない。
関連記事