震災6年 試験操業、魚種を拡大 価格低迷も「漁は生きがい」
「東北のハワイ」とも呼ばれるほど温暖な福島県沿岸南部のいわき市に、珍しく雪が降り積もった2月9日。午前7時半を過ぎると、漁を終えた船が続々勿来漁港に帰ってきた。岸壁に着いた船からは、バケツいっぱいに入ったヒラメなどが次々とトラックに水揚げされていく。
「大漁ですね」「いつもこのくらいだよ」。底引き網漁船「共栄丸」の船長、芳賀文夫さん(64)は、返事とは裏腹に相好を崩す。漁師歴46年で、同市勿来地区の漁業者代表も務めるベテランだ。
福島県沖では原発事故で漁が自粛された。その代わり、2012年6月からは海域を絞り、検査で安全が確認された魚種に限った試験操業を実施している。目的は、福島県産魚介類の市場価格などの調査だ。魚種や漁法ごとに、漁協が出漁日を週1~2回に決め、1回の水揚げ量も制限しながら価格の動向を見守る。
福島県沖は暖流と寒流が混ざり合う「潮目の海」で、豊かな漁場として知られる。ここで水揚げされた魚介類は「常磐もの」と呼ばれ、人気だった。昨年9月には代表格のヒラメやマアナゴが試験操業の対象になり、復活に向けた動きが着々と進む。
13年9月、芳賀さんは所属するいわき市漁協が試験操業を始めると、すぐに漁に出た。しかし、当時は底引き網漁の対象魚種がミギガレイなど3種類のみで「隣の茨城県では普通に漁ができるのに、福島ではなぜ自由に漁ができないのかと悔しかった」。勿来漁港から茨城県までは数百メートルにもかかわらず、捕れた魚を海に戻すこともしばしば。それだけに、ヒラメが試験操業の対象に加わったときは「福島の漁業が前に進んだと実感した」と語る。
だが、魚介類の値段は原発事故前の10分の1程度で、風評は根強い。3年ほど前に約1000万円で新調した船のエンジンの返済が残り、魚介類が今の値段のままであれば、東電からの賠償がないと返済は不可能だ。
それでも、芳賀さんは漁師を辞めたいと思わない。「漁は自分の生きがいだから」。どんな状況になっても漁に出続けると心に決めている。
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