タイ新国王、軍政と「すきま風」 新憲法案に異例の修正要請

 
ワチラロンコン国王(右)とプラユット暫定首相(左)が出席して行われたタイ新憲法公布式典=6日、バンコクのアナンタサマーコム宮殿(AP)

 2014年5月に起きたクーデターから軍事政権が続いているタイで、新たな恒久憲法が公布・施行された。昨年末に即位したワチラロンコン国王が新憲法案に署名した。これにより、タイでは来年中にも総選挙が実施され、民政復帰に向けた動きが加速する。一方で、現政権を担う軍は自らの基盤固めを着実なものとし、選挙後も実質的な支配を継続していく考えだ。これをめぐって新国王と軍政との間では、「すきま風」も聞かれるようになっている。

 民主化が後退

 今回の「2017年憲法」は、1932年の立憲革命以降、暫定憲法も含め通算20本目。上下両院に公選制を取り入れ史上最も民主的とされた1997年憲法、タクシン派の台頭から政党の弱体化を目的とした2007年憲法と、このところ10年に1度、新たな恒久憲法が制定されている。

 2017年憲法は、民主化の後退がより鮮明となった。選挙で議員が選ばれるのは下院のみとなり、上院議員については軍が任命に関与できる仕組みだ。首相選出についても、近年の憲法で踏襲されてきた下院議員の要件が撤廃され、1980年代まで頻繁に続いた軍人ら非議員による首相就任が可能となった。

 さらに注目されるのは、民政復帰後5年間を「移行期間」とし、実質的に軍の支配下で政権が運営されることだ。これにより、14年5月のクーデターから最低でも通算10年間は事実上の軍政が続くことが確実となった。

 タクシン派政権を相次いで退陣に追い込んだ憲法裁判所と国家汚職防止取締委員会などの独立機関には、引き続き三権を凌駕(りょうが)する強い権限が与えられ、内閣や下院、政党を監視する。近代国家に不可欠な権力分立の原則は07年憲法と同様に極めて不安定なものとなった。憲法裁判事や独立機関委員の任命は上院に行わせ、間接的ながら軍の支配を確保した。

 政党法や選挙法などの憲法付属法の整備が必要なことから、総選挙の実施には最短でも1年以上はかかる見通しだ。今年末には、昨年10月に崩御したプミポン前国王の葬儀とワチラロンコン新国王の戴冠(たいかん)式を控え、軍政は最長で来年11月までの行程表を描く。

 プラユット軍事政権は、いまなお60%を超える高い支持率を維持するが、1970年代や90年代にあった反軍運動の過去をひと時も忘れてはいない。民政復帰後の権力基盤確保に躍起なのもそのためだ。具体策の一つを、政府機関への軍人の積極的な配置に見ることができる。内閣は35人の定員の4割近い13人を軍人と系列の警察官僚が占め、省庁への影響力を強めている。最大で19人(議長を含む)の王室を支える枢密院も、史上初めて軍出身者が過半を超え、永続的な政治への関与を確実とした。

 もう一つが、今回施行された新憲法だ。軍政は当初、首相と上下両院の議長、陸海空軍と警察トップで構成する「改革と和解委員会」を内閣、国会、裁判所の三権の上部に置く構想を描いた。2015年8月に策定した第一次憲法草案に盛り込み、成立を目指す考えだった。だが、立憲政治をないがしろにしかねないと国内外で強い批判が起こった結果、断念。草案の承認権を持つ国家改革評議会に働きかけ、一次案を自ら否決に導いたという経緯がある。代わって採られた措置が、憲法裁と独立機関に強い権限を持たせて間接的に支配する方法だ。

 直前に待った

 さらに、歴代憲法に盛り込まれてきた「本憲法に適用する条文がない場合は、国王を元首とする民主主義の統治慣習によって判断しなければならない」とする条文にも、軍の関与を組み込もうと画策した。最終判断権を憲法裁長官らに持たせるとする規定を新たに設け、人事権を持つ軍が差配できる余地を拡大しようとしたのだった。

 ところが、署名直前になってこの規定にワチラロンコン国王が待ったをかけた。立憲主義国家における憲法制定作業に国王が関与を求めることは極めて異例なことだ。国王はこのタブーに挑みながらも、軍の影響力拡大に歯止めを掛ける必要があると考えたとみられている。

 こうして最終的に条文から削除されたのが軍関与の追加規定だった。同条文は憲法上の努力義務と読むのがタイの憲法学では通説であり、最終判断権そのものが意味をなさない。このほか、いくつかの条文でも修正が行われた。

 新憲法の作成過程で起こった国王による異例の修正要請は、タイのメディアの間では「新国王と軍政の間で吹いたすきま風」と受け止められている。

 偉大な父、プミポン前国王を継ぎ、山積する難題に立ち向かう新国王と、国王の軍隊として一糸乱れぬ存在のタイ王国軍。新憲法の作成過程で生じた思わぬ「すきま風」が凪(なぎ)に変わるのをタイの国民は静かに待っている。(在バンコクジャーナリスト・小堀晋一)