高橋昭雄東大教授の農村見聞録(46)

飛び立つミャンマー
イノシシを撃ったボーガンを構えるジアダムの農民兼猟師。やじりには山で採集したトリカブトが塗ってある=2002年12月、カチン州・プタオ郡(筆者撮影)

 ■雪山の麓の村々を訪ねて

 ミャンマー最北部にはヒマラヤ山脈の東端が張り出しており、東南アジアの最高峰カカボラジ(標高5881メートル)をはじめとする、万年雪を頂いた高嶺が連なっている。冬季にミャンマー最北の飛行場プタオに降り立つと、それらほど高くはなくとも、雪を被った山々を見渡すことができる。2002年12月、私はそうした雪山のひとつ、ポンカンラジ(標高3606メートル)に登った。

 今回は、この山行の道筋で宿泊させてもらった、ミャンマー・カチン州北部の深山の中に点在する村々の生活を紹介する。

 ◆地域で異なる単位

 一泊めの村は、プタオ空港から歩いて6時間ほどの上サンガウン村。標高はまだ500メートルほどしかない。リス族とロワン族が住み、村の世帯数は180、ビルマ族と同じく、ほとんどは核家族世帯である。焼き畑と水稲作を主な生業としている。焼き畑の作物は陸稲とトウモロコシで、水田からは1エーカー(約0.4ヘクタール)当たり60ポウンの籾(もみ)が取れるという。およそ588キログラムだから、単収はかなり低い。1ポウンは320ミリリットルのミルク缶60杯分を表す容量であるが、この単位はビルマ族が多く住む中央平原やデルタ地帯ではほとんど使われておらず、使われていてもミルク缶64杯分である。だが南南東にあるシャン州では、1ポウン=ミルク缶60杯分と、プタオ地方と同じになる。ところが、ミルク缶8杯分が1ピーというのは、プタオ地方と中央平原・デルタ地域では同じであるが、シャン州では10杯分が1ピーとなる。最重要作物のコメを量る単位でさえ統一されていないのがミャンマーの現状である。

 翌日の宿泊地はさらに6時間ほど歩いたワサンダム村。標高は900メートル、人口75、世帯数15で、うち13世帯がロワン族、2世帯がリス族である。その中に一人だけカレン族の男性がいた。彼は1946年にカチン州のパアンで生まれ、21歳で国軍に入隊してプタオに赴任し、2年後にKIA(カチン独立軍)との戦闘で重傷を負い3年間プタオの病院にいた。28歳になった74年に退役と同時にロワン族の女性と結婚し、プタオの町から歩いて5日ほどのパケー村に住んでいた。そして93年に同村の人たちが切り開いたこのワサンダムに96年にやってきた。

 当時は3世帯しかなく、ブッシュを山刀で開拓して焼き畑を、平坦(へいたん)地を犂と水牛で開拓して水田を造ったという。水稲は自家消費用で、主な現金収入源は焼き畑で作るアブラナである。これから油を搾って、徒歩でプタオの町まで売りに行く。雨期が終わった農閑期には、近くの川で漁をしたり、ボーガンでシカやイノシシを狩ったりする。村人は福音派のキリスト教徒で、収穫物や獲物の十分の一は教会に寄進する。

 ◆自由に農業や狩猟

 三泊めは、標高1085メートルにあるジアダム村。人口120、世帯数19、全員がロワン族で、チャーチ・オブ・クライスト派のキリスト教徒である。プタオの町から北に10日ほど歩いたナムサホン村から上サンガウン村を経て、1982年にこの地に入植した家族によって拓(ひら)かれた村だという。焼き畑だけでは十分なコメが得られず、水田を開いてコメを食べたい、というのが移動の動機だった。それでも水田を保有するのはわずかに7世帯で、残りは焼き畑でメイズや豆とともに作られる陸稲が頼りである。焼き畑も水田もイノシシの食害が凄(すさ)まじい。

 ジアダムを出ると人家はなくなったが、中国向けの木材を伐採したり、薬草を採集したりしている人々に出会った。さらに清流を渡り、雲霧林を歩き、最後は雪の中を登攀(とうはん)して、プタオ空港を出て7日目にポンカンラジの山頂に立った。

 帰路にまたジアダムに宿泊したが、その日はちょうどクリスマスだったので、イノシシと猿の肉をプレゼントされた。後で調べたら、この猿はミャンマー語でミャウッフレージョーと呼ばれる類人猿、なんと絶滅危惧種のフーロックテナガザルだった。そういえば村の入り口に、爆弾での魚労やこの猿の狩猟を禁ずる看板があった。行程の途中で会ったアメリカ人は、自身が食べたというレッサーパンダの毛皮を持っていた。

 自由に農地を拓けたり、勝手に森林を伐採したり、希少動物を狩ったりと、良くも悪くも中央政府の支配が十分には及ばなかったこの辺境にも、道路が造られ、自然保護区が広がり、観光客がやってきて、村人の生活も「標準化」されていくことであろう。失った「自由」の代償に、せめて保健や教育の立ち遅れは改善されてほしいものである。