習近平と党中央の関係 元滋賀県立大学教授・荒井利明

専欄

 習近平と党中央の関係はどうなっているのか。今秋開催される共産党大会に関する党機関紙「人民日報」の特集記事を読みながら、そんな疑問を抱いた。

 メディアの統制機関である党中央宣伝部は、党大会に先立つ報道に関して、習近平の一連の重要演説の精神、および前回党大会以降、この5年間の習近平時代の業績を大々的に宣伝するよう指示している。

 中国中央テレビや「人民日報」などは特番や特集を組んで、その指示に応える報道を行っており、中央テレビは先月、この5年間で各分野の改革がいかに進み、国民の生活がいかに改善されたかを伝える特番「改革を貫徹せよ」(全10回)を放送し、今月は「法治中国」と題する特番(全6回)を放送した。

 「人民日報」では今月上旬から、各省(直轄市、自治区)のこの5年間の変貌ぶりを伝える特集が連日続けられている。首都の北京市が第1回で、天津市、河北省と続いた特集は、毎回8ページを使った大特集で、各回の冒頭にはその省の党委員会書記が文章を寄せている。

 この各省トップの3000字前後の文章は、当然のことながら、いずれもこの5年間の業績を並べているのだが、目立つのは「習近平総書記」「習近平同志」という文言である。

 今日の中国の政治的文章において、「習近平同志を核心とする党中央」や「習近平総書記の国政運営の新理念・新思想・新戦略」といった表現は不可欠で、地方の指導者の文章に「習近平」が数回登場するのは、いわば自然なことである。もし登場させなければ、習近平体制に不満があるのではないかと疑われてしまうだろう。

 ところが、「人民日報」の特集に掲載された各省トップの多くの文章には、数回ではなく、十数回も登場する。たかだか3000字の文章に18回も出現するに至ってはあきれてしまった。

 違和感を抱いたのは、省トップの文章に「習総書記と党中央」という、組織より個人を優先しているかのような表現がみられたことだ。文化大革命初期、毛沢東は党の文書に手を入れ、「共産党の指導」を「毛沢東同志と共産党の指導」にわざわざ修正した。その意図は自己を党の上に君臨する指導者として位置付けることにあった。

 習近平は核心とはいえ党中央の一員で、習近平を特別に党中央の前に置くのはおかしいのではないか。おもねるにもほどがあろう。(敬称略)