【ローカリゼーションマップ】カマンベールチーズをめぐる産地保護の葛藤 食文化の状況は一段と深刻に

 

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 EUや国など行政が定める農産品などに対する地理的表示の制度がある。フランスのシャンパンやパルマのハムなどが、その適用例だ。この制度が形骸化しつつある、と警告を発している団体がある。イタリアのスローフードだ。

 EUにはPDO(原産地名保護制度)、PGI(地理的表示保護)、TSG(伝統的特産品保証)との3種類があり、地域特有の文化的・経済的な特徴と恩恵を保護することが目的としている。

PDOは生産プロセスが表示された地域内に限られており、PGIより厳しい。TSGは地域よりも伝統的プロセスの保護を優先する。

 スローフードが指摘している一つの例が、フランスのカマンベールチーズに対するフランスPDOの変更だ。生物多様性のためのスローフード財団のサイトにはその内容が記載され、PDOの趣旨に反するとの関係者の意見を紹介し、フランスの伝統食品を守るために努力するとの意思を表明している。以下、要約だ。

“フランスのINAO(国立原産地名称研究所)はカマンベールチーズに低温殺菌のミルクの使用を2021年より認めることにした。これは数年前に「ノルマンディのカマンベールPDO」との名称に似た表示「ノルマンディで生産されたカマンベール」が認められたことに端を発している。 

 「ノルマンディで生産されたカマンベール」は多国籍乳製品メーカーであるラクタリス社の製品に使われているのである。同社は低温殺菌ミルクを使用したカマンベールチーズの95%を生産しているが、INAOの新しい規則によれば、カマンベールは2つの種類に分けられ、1つは「低温殺菌ミルクで30%はローカルの牛のミルク、70%は牛の生育地は問わない」もので、もう1つは「本当のノルマンディのカマンベール」という高品質の生乳で作られた現在のPDOに合致するチーズだ。”

 現在、PDOの規則に合うカマンベールチーズは全体生産量のわずか1%に過ぎない。つまり市場で見かけるカマンベールチーズはほとんどが「ノルマンディで生産されたカマンベール」である。

 スローフードがこの一件に危機意識をもつのは、行政の地理的表示と同様、同団体は世界の地域に特有の動物・食材・生産技術などを保護する活動を行っているからだ。

 生物多様性のためのスローフード財団はプレシディアという認定制度を運用している。行政の地理的表示が経済促進を目的に、往々にして中堅以上の企業が集まる組合などの製品を保護するのに対し、プレシディアは零細・中小の農産品生産者のグループが対象になりやい。

 2016年末時点において、世界67カ国の514がプレシディアの認証を受けており、地域で分けると欧州405、アメリカ49、アフリカ41、アジア・オセアニア19である。

 プレシディアは自然・文化保護の色合いが強く、「地元ではあまり名が知られないが海外市場で有名な製品」を否定的に捉える。生産地の人たちが買うことが先決である。したがって大都市での販路開拓と観光で人が押し寄せることばかり考える人たちの製品がプレシディアの認定を受けるのは難しい。

 とてもラジカルな仕組みである。だからフランスの伝統食品の絶滅危機にも闘う姿勢は鮮明なわけである。

 生物多様性のためのスローフード財団会長、ピエロ・サルドは、プレシディアについて以下のように語る。

 「EUの定めた規則の主要対象国は歴史的文化の恵を受け、かつ温暖な気候のフランス、イタリア、スペイン、ギリシャの4カ国だ。これらの国々には政府レベルで地理的表示の制度があり、それと並行してEUの規則がある。問題は、これらのシステムが中堅以上の企業のビジネス促進に繋がっているために、その地域にある小さな生産者が不利を被っていることだ」

 農産品が文化・経済的な資産として活用可能な地域において、地理的表示が名称や技術を知的財産として保護するわけだが、保護されるにも経済的な負担が大きいとの理由でその土俵にのれないこともある。

 他方、大企業が商品の差別化目的で地理的表示を活用するが、大企業には、市場に安定供給するための生産プロセスの効率化や安全衛生という側面を強調せざるをえない、文化性と対峙しかねない事情がひかえる。

 しかしながら消費者は工業製品ではなく味わいあるものを口にしたいと願う。特に地理的表示が強みをもつ地域にこそ、そのような消費者が多い。

 食文化を巡る深刻な状況が更に深くなっている。(安西洋之)

【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)

上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『デザインの次に来るもの』『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。ローカリゼーションマップのサイト(β版)フェイスブックのページ ブログ「さまざまなデザイン」 Twitterは@anzaih

ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。