人の記憶とは曖昧なものだ。いや、人と一般化してはいけない。ぼくの記憶もいい加減だと最近痛感した(「今頃か!」と当然の如く突っ込まれるとすれば、「何度も痛感するもの」とお答えします)。
ローカリゼーションマップという活動を今からおよそ10年前にはじめた。その動機については、本連載でも何度か紹介してきた。
デジタルデバイスのユーザーインターフェースのユーザビリティやローカリゼーションを分野とする、アイルランドの会社のコンサルタントを2000年代前半からやっていたことが背景にある。
特にその当時、簡易型以上のサイズと機能のカーナビが欧州市場においても普及しはじめ、ドライバーが瞬時に判断できる情報の提示の仕方が問われ始めた。地理把握の仕方は文化圏によって異なるので、認知の問題は即、人の命を奪うことになりかねない。
そこで日本のカーメーカーやナビメーカーの商品企画やデザイナーと話すうちに、欧州文化の理解の仕方が分からないために、製品のローカライズの必要の有無が判断できないと気づいた。
ぼくがローカリゼーションを起点とした文化の読み方に目を向けるよう、「課外活動」をはじめた理由だ。そのために『ヨーロッパの目 日本の目』という本を2008年に書いた。
…というのが、ぼくの記憶だった。しかしながら、最近、その頃に書いていたブログを読み返す機会があり、途中経過が抜けていたことに気がついた。実はぼくは、ヨーロッパ文化のリサーチをもっと深く行いたいと考えていたのだった。
ヨーロッパ文化全般をリサーチする、ヨーロッパに拠点をもつ日本の研究機関が、ぼくが知る限りない。一部の機能をもっているところはあるだろうし、欧州の研究機関と提携しているところはあるだろう。しかしながら、欧州社会で現実に起きていることに対して、ズームインとズームアップの両方で説明するような機能を果たしている機関があるようには思えない。
ぼくも欧州の話題を話した時によく言われるのだが、「そうした情報は日本にまったく入っていません」と日本に住んでいる人が話す。
そうだろうと思う。頻繁に他国ローカル言語の情報をフォローしなければ、「自然と目に触れる」母国語の情報はそうそうあるものでもない。もちろん、それぞれの国の事情や言語により、他国情報の多寡はある。
だが基本的に、多くの人はローカルなニュースへの接触が多い。あるいは好む。1万キロ離れた土地での悲惨な状況よりも、自宅に近い料理屋のメニューの変更に関心があるのが普通だ。
つまりコンテクストの分からないところでのコトよりも、熟知しているコンテクストでの「微細な変化」に嗅覚は働き、それが働くこと自体に喜びを感じ、その楽さ加減を享受するのである。
したがって、欧州で起きていることに日常的にフォローする環境がない限り、日本の企業が、あるいは人が知らないのは当たり前である。しかし、欧州の動向を知っておくべき企業や人がそのような環境を意図的に用意しないのは、大局的な見方をとるに不利である。およそ10数年前のぼくは、そのように考えていたのだった。
さて、今、ぼくはこのテーマについてどう考えているだろうかと振り返ってみた。
10数年前よりも、日本のお金で主導するヨーロッパ研究の需要は大きくなったかもしれない。経済的市場規模の問題ではない。今やワシントンよりも欧州委員会があるブリュッセルが、世界のロビー市場の中心地になっているとの現実がある。
どう世界が転んでも、比較的安定した価値観を基盤に世界をリードする意見形成の場の「裏事情」を知らないと、日本のビジネスが大きく道を外す可能性が高まっている。
特に、今回のウイルスの問題で経験したように、明日の行方が見えないとき、人々の反応の仕組みをよくおさえておくのが有利だ。「このような向きの場合、どのような選択肢を今の人々が提示してくるだろう」との見立てができるのとできないのでは、結果に大きな乖離がでる。
つまり意見形成の現場にあるリアルな動向とその背景をどれだけ把握しているか? が鍵である。それにはヨーロッパにあるレストランのメニューの変化に嗅覚が働く人たちと仲良くなっておかないといけない。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。