No.2たる官房長官としての成功
最近の菅義偉総理をみていると、つくづく、総理と官房長官とでは、要求される素質が違うのだなと思わせられる。菅総理は、安倍晋三前総理の下で8年間近く官房長官を務め、周囲から極めて有能な官房長官と評価されていた。実際に、官房長官として有能だったからこそ幾度もの内閣改造を乗り越えて一貫してその立場を維持していたのだろう。
私は当時、菅官房長官をみていて、フランスの政治家ジョゼフ・フーシェを思い出したことが何度もあった。ジョゼフ・フーシェは、フランス革命・ナポレオン帝政(フランス第一帝政)・復古王政を生き抜いた政治家だが、その力の根源は情報収集力にあったという。
官房長官の相手は官僚である。官房長官は官僚の総元締めとして、各省の情報が集まる立場であるとともに、各省の幹部官僚の人事権も掌握する立場である。菅官房長官は、その人事権を十二分に活用し、各省官僚を安倍政権の目指す方向に向かって動かすことに巧みであった。
その手腕をして「豪腕」と言わしめ、マスコミによれば、「公安顔」と評する人もいたようだ。もともと官僚から見れば、人事権を握られているということは自己の生殺与奪の権を握られているのと同じである。だから、たとえ菅官房長官が「公安顔」だろうが、その言葉に人の心を鷲づかみにする魅力がなかろうが、ものを言うときに伏し目がちになろうが、そのようなこととは関係なく、菅官房長官が掌握している人事権にひれ伏してその言葉には従うだろう(心から従うかどうかは別として)。
こうして菅氏は、官房長官としては確かに成功したと言える。菅氏はその余勢を駆って、安倍前総理の政策を引き継ぐとして後継候補に名乗りを上げ、首尾よく総理の座を射止めることとなった。
ジョゼフ・フーシェは常にNo.2以下の立場にいて、No.1に強い影響力を行使していた。それが彼が、革命時代、ナポレオン時代、復古王政の時代を有力政治家として生き抜くことができた所以(ゆえん)であろう。
もし彼が、ナポレオン失脚後に自分がフランスのNo.1になろうと画策していたとしたら、おそらくあの変転著しい時代を生き抜くことはできなかっただろうと思う。
総理に求められる確たる国家観
私には、菅官房長官が総理になるというのは、ジョゼフ・フーシェがナポレオンの後継者になるようなものに思えた。菅総理就任時には、国民の支持率は70%を超えた。それは、安倍前総理が退任を表明した途端にうなぎのぼりになった安倍政権の支持率を引き継いだものだろう。
その支持率は、国民の多くが安倍前総理が病魔に冒され無念にもやり遂げることができなかった課題を、“安倍後継”を謳(うた)って総理となった菅氏が安倍前総理に成り代わってやり遂げてくれると期待したことを示すものとも言える。
しかし、その後の推移を見ると必ずしもそうはなっておらず、国難とも言える災厄、新型コロナウイルスの蔓延に対しても、国民に安心感と自信を与える道筋を示すことはできていない。最近の著しい支持率の低下は、当然と言えば当然であろう。
国民は、自分の国や社会が危機になればなるほど、最高リーダーである総理を見る。総理は官房長官と違って、自分の持っている権限によってではなく、自分の語る言葉によって、その言葉を発するときの姿勢によって、表情によって、眼によって、国民の心をつかみ、国民に自信と安心感を与えなければ支持を集めることはできない。
そのためには、菅総理自身に確たる国家観、時代を見通す鋭い洞察力があることが不可欠だ。私は、菅総理にそれらが備わっていると信じたい。菅総理とジョゼフ・フーシェとを並べて論じることが誤りであることを切に願う。
【疾風勁草】刑事司法の第一人者として知られる元東京地検特捜部検事で弁護士の高井康行さんが世相を斬るコラムです。「疾風勁草」には、疾風のような厳しい苦難にあって初めて、丈夫な草が見分けられるという意味があります。アーカイブはこちらをご覧ください。