ジャズ・ピアニストの小曽根真と小説家の真山仁という意外な2人の対談が実現した。2人はともに神戸に縁があり、しかも、同世代。音楽、小説、そして人生を忌憚(きたん)なく語り合った。(前回の記事はコチラから)
阪神・淡路大震災のあの日が、その後の生き方を変えた
小曽根真(以下:小曽根) 真山さんから新刊の『それでも、陽は昇る』をいただきました。この作品は、阪神・淡路大震災(以下・阪神)と東日本大震災(以下・東日本)をつなぐ物語なんですってね。
真山仁(以下:真山) 1995年の震災の時、私は震源地から10キロほどしか離れていない7階建てのマンションの1階に住んでいました。揺れている時は、「ああ、こうやって死ぬのか」と死を覚悟しつつ「こんなんで死ねない!」とも思ったのを覚えています。神戸出身の小曽根さんは、震災の時もご自宅が神戸にあったとか。
小曽根 僕の場合、ちょっと申し訳ない被災体験なんです。震災の前日にハワイに旅行に出かけまして。ハワイに到着してテレビをつけたら、阪神地区が大変なことになっている映像が出て……。ショックでした。すぐに、父に電話して無事を確認した上で、地元に帰りました。真山さんが、震災体験を小説にしようと思ったのは、いつからですか。
真山 「阪神」の時は、まだ、フリーライター業をしつつ、小説を投稿していました。幸いにも大きな被害を受けず、生き残ったことを後ろめたく感じてしまった。小説家デビューしたら、必ずこの時に考えたり感じたりしたことを小説に書くぞ! と心に期しました。なのに、『ハゲタカ』でデビューしても、なかなか機会がありませんでした。悶々としているうちに2011年の東日本大震災が起きてしまいました。それで、二つの震災を繋ぐ小説を書くと決めて、積極的に動きました。
小曽根 僕は、被災者として取材に応じて欲しいという依頼を断っていました。語る資格ないやろと。でも、演奏ならできる。それで、とにかく演奏できる機会があれば、どこへでも行きました。
真山 神戸のFM局であるKissFMでパーソナリティを務めていた番組を、いち早く再開されたと聞きました。
小曽根 そうですね。あれは、スポンサーの社長と僕が友人だったこともあって、ずっと被災状況を伝える放送ばかりじゃ辛いから、地元の人を応援するために、番組を再開しようと決めたんです。局は、自粛ムードを気にしていましたが、強引に始めてしまって。
真山 ちょっとコロナ禍でのFacebookライブに似ていますね。
小曽根 思い立ったらすぐ動く性格なんです。でも、結果的に大きな反響があって、喜んでもらいました。あの時も、リスナーから「スピーカーの前で、正座して聴いてます」とファクスがきて、やって良かったと思いました。
東日本大震災から10年で考えたこと
小曽根 『それでも、陽は昇る』は、三部作のラストだそうですね。
真山 東日本大震災が起きた2011年の7月に初めて、岩手県と宮城県の沿岸部を、3日かけてレンタカーで巡り、ここから何を伝えようかと、自問自答を繰り返しました。特に、メディアが伝えていないことを探しました。
小曽根 その辺りが、真山さんらしい。で、それは、どんなことでしたか?
真山 子供の笑顔の裏側にあるものですね。「阪神」の教訓からか、メディアは、「東日本」の報道で、初日から子供を追いかけました。悲惨な事態になっても笑顔を忘れない子供。それを見ると、皆が勇気づけられる。
一見、良い話に思えますが、子供に無理を強いることになります。子供が明るいのは、大人が塞(ふさ)いでいるのが一因です。本能的なものですが、無理をしています。メディアが追いかければ、子供たちはどんどん追い詰められる。それは、止めさせたかった。
もう一つは、生き残った人の後ろめたさというのは、小説だから描けると思いました。
小曽根 小説だから描けるというのは、新聞記事やノンフィクションと、何が違うんでしょうか。
真山 震災によって生まれた問題点や被災の現実を記事やノンフィクションで伝えようとして、当事者を傷つけてしまうことがあります。また、物事の本質を伝えるには、読者に届きやすくする工夫が必要ですが、事実に縛られてしまい、表現しにくい場合があります。事実を踏まえながらもフィクションに昇華することで、普遍性が生まれ、より読者に届きやすくなります。それが、小説の力だし、役割だと私は考えています。
小曽根 なるほど、いわゆる「物語」の強さですね。小説は、感情移入できるので、読者の心に届きやすいという側面もありますよね。
真山 おっしゃるとおりです。疑似体験できるけど、これはフィクションだという安心感がある。一方で被災者にも、少し現実から距離を置いて震災を感じ、考えて欲しいと思いました。
小曽根 今年は、「東日本」から10年という節目です。その年に三作目を発表されたのには、理由があるんですか。
真山 10年というのは、出来事を歴史的事実として見られるようになる1つの区切りだと、私は考えています。なので、改めて、震災は私たちに何を残したのかを一緒に考えたいと思いました。一方で「阪神」は昨年、25年という節目を越えました。もはや、記憶も消え去ろうとしている。「でも、本当にもう何も伝えるものはないのだろうか」と考え、その試行錯誤を小説にすることにしたのです。
小曽根 年月というのは、いろんなことを忘れていく一方で、忘れてはならないことが、浮かび上がってくるために必要な時間でもありますよね。真山さんには、どんな言葉が浮かんだんでしょう。
真山 そこは、小説を読んでください!(笑)と言いたいところですが、うまくいかなかった失敗から目を逸らさず、失敗こそ、語り継ぐべきじゃないかと強く思うようになりました。
「自粛」より行動を! それが何かを生み出す
真山 「東日本」から10年という節目を迎えて、小曽根さんは思うことありますか。
小曽根 コロナ禍でも問題となりましたが、「自粛」の意味ですね。被災者の置かれた立場を思うと、自粛して寄り添う気持ちを表現するのも意味があるかも知れない。でも、僕は「被災地を応援できる立場にある人は、やれることをどんどんやった方がいい」と考えてきました。KissFMの放送も、それが理由でした。「自粛」からは、何も生まれないんですよね。それより、周囲は普段以上に頑張って、お金だけじゃなく、活力やエネルギーを送るべきだと思います。
真山 まったく同感です。被災者と一緒に沈んでいる場合じゃない。周囲は、逆に様々な刺激を発信して、被災者に対して出来ることをどんどんしていくという発想は、とても大事だと思います。
小曽根 被災地で辛い思いをしている人がいるから、祭りや賑やかなことは慎めという意見も分かる。でも、そんなことでは何も生まれないから、ポジティブに行動しよう。そういう人がいてもいいし、僕はそういう行動が出来る人でありたいんです。
元々、常に行動ありきな性格でしたが、アメリカでさらに鍛えられた(笑)。やってみて、ダメならやめればいい。その時も学ぶことがたくさんあります。日本は、設計図を書いている段階で、もめてしまって、結局、何もできずに終わる場合が多いじゃないですか。それは、改めたいですね。
■小曽根真(おぞね・まこと) ジャズピアニスト。1983年、バークリー音大ジャズ作・編曲科を首席で卒業。米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム「OZONE」で全世界デビューした。ソロ・ライブをはじめゲイリー・バートン、ブランフォード・マルサリス、パキート・デリベラなど世界的なトッププレイヤーとの共演や、自身のビッグ・バンド「No Name Horses」を率いてのツアーなど、ジャズの最前線で活躍している。2003年にグラミー賞ノミネート。2011、国立音楽大学(演奏学科ジャズ専修)教授に就任。2015年には「Jazz Festival at Conservatory 2015」を立ち上げるなど、次世代のジャズ演奏家の指導、育成にもあたる。2020年春には、コロナ禍の緊急事態宣言中、53日間に及ぶ自宅からの配信活動「Welcome to Our Living Room」も話題となった。2021年3月に還暦を迎え、全国各地で「OZONE 60 CLASSIC x JAZZ」ツアーを開催する。主な日程は下記の通り。
3月25日(木) 東京:サントリーホール 大ホール
3月27日(土) 名古屋:愛知県芸術劇場コンサートホール
3月28日(日) 秋田:アトリオン音楽ホール
4月 3日(土) 大阪:ザ・シンフォニーホール
5月22日(土) 福岡シンフォニーホール ほか
http://www.hirasaoffice06.com/artists/view/187?artist=Instrumentalists
■真山仁(まやま・じん) 小説家。昭和37年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科を卒業後、新聞記者とフリーライターを経て、企業買収の世界を描いた『ハゲタカ』で小説家デビュー。同シリーズのほか、日本を国家破綻から救うために壮大なミッションに取り組む政治家や官僚たちを描いた『オペレーションZ』、東日本大震災後に混乱する日本の政治を描いた『コラプティオ』や、最先端の再生医療につきまとう倫理問題を取り上げた『神域』など骨太の社会派小説を数多く発表している。初の本格的ノンフィクション『ロッキード』を上梓。最新作は「震災三部作」の完結編となる『それでも、陽は昇る』。