「われらの大統領」か「彼らの大統領」か
英BBC放送によれば、米国のジョー・バイデン大統領は、連邦議会によるドナルド・トランプ前大統領に対する弾劾裁判で無罪評決が出た際の声明で「民主主義は脆(もろ)いことを思い出させた」と述べた。一方、ジョンソン英首相は、CBSテレビのインタビューに対し「アメリカの民主主義は強力だと思う」と述べている。2人の言う「民主主義」は同じ意味だろうか。民主主義が寛容の精神に支えられていることを考えると、その基盤に脆い部分があることは間違いない。
エイブラハム・リンカーン第16代米大統領がゲティスバーグ演説の締めくくりとして述べた、「人民の人民による人民のための政治」という表現は、民主政治の本質を突いている。一方、現実の民主政治は、最終的には多数者による政治にならざるを得ない。ただ、「多数者の、多数者による多数者のための政治」では多数者の独裁政治であって、民主政治とは言えまい。「多数者の、多数者による全ての国民のための政治」であってこそ民主政治ということができる。
トランプ前大統領の施政は、「勝利者の、勝利者による勝利者のための政治」であって「全てのアメリカ人」のための政治とは言いがたいところがあった。その施政は、それまでに既に生じていた、米国社会の亀裂を顕在化させ、深刻化させた。新たに多数者の代表となったバイデン大統領は、就任演説で「全アメリカ国民の大統領になる」と宣明した。しかし、トランプ前大統領に投票した約7000万人の米国人にも「われらの大統領」と認められるかどうかは疑問がある。
民主主義における指導者の正当性は選挙の公正さによって根拠づけられる。トランプ支持者の多くから選挙の公正さが疑われている状況では、バイデン大統領がトランプ支持者から「われらの大統領」と認められるのはそれほど易(やさ)しいことではない。「寛容さ」は勝利者にこそ求められる。バイデン大統領とその支持層が「寛容さ」を示すことが出来れば、アメリカ社会の亀裂はある程度は修復されるであろう。
しかし、バイデン大統領は、就任直後から多数の大統領令を発し、トランプ前大統領の政策を次々に転換している。また、米議会下院は2月27日、与党の民主党主導で新型コロナウイルス危機に対処するための1兆9000億ドル(約200兆円)規模の経済対策法案を可決した。法案は上院で対策の規模や内容が修正される可能性があるが、もしこれが実行されれば、亀裂の修復はますます難しくなり、共和党のトランプ支持者にとってバイデン大統領は「彼らの大統領」であり続けるだろう。
トランプ前大統領に続いてバイデン大統領も「勝利者の、勝利者による勝利者のための政治」を行うのであれば、アメリカの民主政治は、4年ごとの期限を切った独裁政治に堕する。そうなれば、皮肉なことに、「民主主義は脆い」ことをバイデン大統領自身が証明してみせることになる。
「正義」を唱えて近寄る独裁・全体主義
一方、日本には、民主主義は期限付独裁だと言い放った政治家がいる。菅直人元首相だ。菅直人氏は副総理や財務大臣などを兼任していた2010年3月、参院内閣委員会で「ちょっと言葉が過ぎると気をつけなきゃいけませんが」との留保を付けてではあるが、「議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだ。4年間なら4年間は一応任せると」と答弁している。
合意の成立を目指して努力した結果、やむを得ず多数決で政治を動かすのと、最初から、4年間は独裁が許されると割り切って政治を動かすのとは、本質的に異なる。その答弁には、権力者特有の独裁への秘めた希求を感じざるを得ない。「期限付独裁」から「期限付」を外すことが、それほど難しくないことは、過去及び現在の独裁国家の例が示している。
民主主義は脆いもの、そして、非効率なものだ。効率の良さや手際の良さ、分かりやすさを求めすぎてはいけない。独裁主義、全体主義は、時には、声高に正義を唱え微笑みながら寄ってくる。
民主主義は、幼子を育てるように寛容の精神をもって、注意深く、用心深く、そして、辛抱強く、護り育てていく以外にない。
【疾風勁草】刑事司法の第一人者として知られる元東京地検特捜部検事で弁護士の高井康行さんが世相を斬るコラムです。「疾風勁草」には、疾風のような厳しい苦難にあって初めて、丈夫な草が見分けられるという意味があります。アーカイブはこちらをご覧ください。