秦の東進を防いだ合従策
今の中華人民共和国の動きは、紀元前4世紀の秦の台頭期を思い起こさせる。大陸中央部(黄河流域から長江流域にかけての地域の意)の戦国時代、西方にあった秦が国力を増大させ、東進の気配を見せ始めたとき、他の六国(魏・韓・趙・燕・楚・斉)は、それぞれ自国の独立を保持するための策を必要としていた。それに応え、雄弁家として知られた蘇秦は合従(がっしょう)策を、後に秦の宰相となる張儀は連衡(れんこう)策を唱えた。
合従策とは、六国が同盟して秦と対抗することにより秦の東進を阻止し、自国の独立を維持しようとするものであり、連衡策とは六国がそれぞれ秦と友好関係を結ぶことにより秦に支配されることを回避しようとするものである。
蘇秦は六国の印綬を帯びて六国を同盟させ、よく秦に対抗して六国の独立を維持した。しかし蘇秦の死後、秦の宰相となった張儀の連衡策により六国同盟は個別に突き崩された。その結果、秦の東進を阻む壁には穴が空き、六国は順次秦に滅ぼされ、紀元前221年、最後に残されていた斉が滅亡して、大陸中央部は秦の始皇帝の支配するところとなった。
地政学的に最も重要な位置にある日本
21世紀の今、習近平指導部の支配する中華人民共和国は、東は東シナ海、南シナ海に進出、さらには西太平洋まで、西は一帯一路により中東、西欧にまで進出しようとしている。その勢いは今年3月9日、米上院軍事委員会でフィリップ・デービッドソン米インド太平洋軍司令官が「6年以内に中華人民共和国が台湾に侵攻する可能性がある」と警告を発するほど緊迫の度を増している。
このような状況に対し、日米とオーストラリア、インドの4カ国は「クワッド」を形成してこれに対抗しようとし、英国、フランス、ドイツも南シナ海に艦艇を派遣する意向を示している。まさに、六国が合従して秦に対抗しようとした時代と同じ構図と言える。
しかし、習近平指導部も、合従策が連衡策によって破られたことは百も承知であろう。現代の張儀に大活躍させるに違いない。張儀は秦の宰相であったが、現代の張儀は中華人民共和国にいるとは限らない。
現代の合従策において、地政学的に最も重要な位置にあるのが日本である。日本列島は北海道(北方領土を含む)から沖ノ鳥島までおおよそ3000キロメートルにわたって、瓶の蓋のように大陸から東への出口を塞いでいる。
鎌倉時代の日本人が見つめている
現代の張儀の最大の役割は、日本を連衡策へ引き入れることだろう。昔から日本の平和と安全は、大陸北方の支配勢力が南進を決意するかどうか、大陸中央部の支配勢力が東進を決意するかどうかにかかってきた。
日本の地政学的位置を考えれば、大陸中央部の支配勢力が東進を決意したとき、日本には、これに飲み込まれるか、これと対抗して押し返すかの二択しかない。鎌倉時代の北条時宗は後者を採ることを決断し、文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)で元およびその属国となっていた高麗と、日本は単独で戦った。
今、日本は単独ではなく、同盟国があり、共に合従する国もある。
折しも、習近平指導部によるウイグル民族に対する弾圧に対し、欧米各国はこれを強く非難し、特に米国は「ジェノサイド(民族大量虐殺)」だと最大級の非難をして制裁措置に出ている。
これに対し、日本の政府は、言葉では非難するものの具体的行動には出ていない。その理由として、中華人民共和国との経済関係の深さを挙げたり、中華人民共和国がジェノサイドを否定していることを挙げたりする政治家がいる。
習近平指導部からは、日本こそ最も連衡策を施しやすい国に見えるだろう。しかし、この問題は究極的には、日本人は人間の尊厳を護る側に立つのか、それとも人間の尊厳を踏みにじる側に立つのか、という問題でもある。
ときの英国首相、チェンバレンのヒトラー政権に対する妥協的な「融和政策」がナチスドイツのポーランド侵攻を招いたことを、そして、そのポーランドに侵攻したナチスドイツと組んだことが日本の大失敗だったことを忘れてはいけない。
現代の日本人が連衡策に絡め取られることなく、強い環として合従策を支え切ることができるかどうか。鎌倉時代の日本人がじっと見つめている。
【疾風勁草】刑事司法の第一人者として知られる元東京地検特捜部検事で弁護士の高井康行さんが世相を斬るコラムです。「疾風勁草」には、疾風のような厳しい苦難にあって初めて、丈夫な草が見分けられるという意味があります。アーカイブはこちらをご覧ください。