海外進出した日本の外食20社以上の経営者や担当者のインタビューを読んだことがあるが、和食の場合、「世界に広がりつつある、いいかげんな『なんちゃって和食』に義憤を感じて進出を決めた」というパターンが少なくない。
しかし、「正しい和食」ってなんだろう。
昨年、京都の有名料亭が懐石料理の店をロンドンに出したとのニュースを目にした。だしに使われる昆布のグルタミン酸や鰹節のイノシン酸からなる「うまみ」が使われることを、かの京都の料理人は和食の定義としている。よって「うまみ」は絶対にはずさない。しかし食材はロンドンで調達できるものがメインであり、寿司のシャリにサフランさえ使う。
日本の一流料理人の懐石として地元紙で賞賛を浴びたようだが、誰が作ったか知らなければ、一見したところ「中国人のなんちゃって和食」だと日本で批判を浴びるかもしれない。
翻って日本はこれまでフランス料理、イタリア料理、中華料理、インド料理に至るまで「なんちゃって外国料理」をさんざんやってきた。それなのに「なんちゃって和食」を小馬鹿にするってどういう了見なのだろう。どうして上から目線になるのだ。
イタリア料理のスパゲッティだって調理方法を変えれば中華焼きそばとしても通用する。「○○料理」とは極めて曖昧な境界線上にあると言えよう。
だとすれば、この「曖昧さ」を逆に積極的に使うのが良いのではないか。