義理の両親、妻、長男が眠る墓にひしゃくで水をかける黄川田徹衆院議員=平成26年3月9日、岩手県陸前高田市の光照寺【拡大】
■政局に翻弄され
「震災復興に与党も野党もない。政局をやっている暇はなかったんだ」
黄川田は、民主党政権が党内政局に明け暮れたことを今でも残念がる。しかも、自身が所属していた元代表、小沢一郎(生活の党代表)のグループが政局の震源だったことに今でも憤りがこみ上げてくる。
黄川田は復興の最前線にいた。小沢らは違った。
震災から間もなく、黄川田は東京・深沢の小沢邸に呼ばれた。
「小沢先生が被災地のために走ってくれれば復興は進む」という期待を抱いていた。だが、集まったグループ議員が交わす会話は、菅直人内閣をどう倒すかという謀議ばかり。小沢も、いたわりの言葉どころか復興や原発事故について一言も口にしなかった。
「おい、(目の前の)この机ひっくり返していいか?」。怒りがこみ上げ、隣の同僚議員にそう漏らしたことを覚えている。「徹ちゃん、こらえろ」と制止されなければ、本当にそうしていたかもしれない。
小沢家と黄川田家は50年以上の付き合いがあり、そう簡単に小沢と縁を切ることはできなかった。
震災から約1年後の24年3月、消費税増税法案が閣議決定された。増税に反対する小沢は、総務副大臣の辞任を迫り、黄川田の仮設住宅を訪ね、家族の位牌(いはい)を拝んだ。黄川田は複雑な思いのまま小沢に従った。同年7月、党を飛び出す小沢に従わず、残留した。
被災地への財政支援の仕組みづくりや、地域防災を担う消防団を強化する議員立法など、取り組みの多くは実を結んだ。同年末の衆院選では小沢に刺客を立てられながらも破り、5選を果たした。