【飛び立つミャンマー】高橋昭雄東大教授の農村見聞録(12) (3/3ページ)

2014.3.21 05:00

完工間近のシュエテインドー・パヤーの大伽藍(がらん)。中央に緑色で書かれている「ミャバイン」は、チャウセー町の缶入りコンデンスミルクメーカーの社名。同社のオーナーは一代で財を成し、国会議員も務める(筆者撮影)

完工間近のシュエテインドー・パヤーの大伽藍(がらん)。中央に緑色で書かれている「ミャバイン」は、チャウセー町の缶入りコンデンスミルクメーカーの社名。同社のオーナーは一代で財を成し、国会議員も務める(筆者撮影)【拡大】

 ◆経済の自由化で台頭

 このパヤーの命運が好転し始めたのは89年、軍政登場の翌年である。マンダレーの中華街の商人タイチーマウンが、協同組合にかかわる詐欺容疑で裁判にかけられ、“苦しい時の何とやら”で、この村の長老ウー・バッチッに頼んで、シュエテインドーの仏様に祈りと供物を奉げたところ、翌90年に裁判所が火事になって証拠書類が焼けてしまい裁判を免れる次第となった。この商人は工業大臣や国境大臣を連れてパヤーを幾度となく礼拝するようになり、経済的成功を祈ることができると評判が広がって、マンダレーの中国系大商人がこぞって寄進するようにもなった。

 そして93年、時の国家元首タン・シュエ上級大将の妻ドー・チャインチャインが噂を聞いて訪れる。当時はまだ車道がなく、馬車でやってきた彼女は砂埃(ぼこり)まみれになったという。マンダレー軍管区の司令官も夫人に同行しており、この時とばかりに国道からパヤーまでの舗装道路を作りたいと村の長老が申し出るとすぐに了承された。お墨付きを得た村人たちは国道脇で喜捨を募り、将校や高級役人からも多額の寄進が集まった。

 そして私が村で2度目の住み込み調査をしていた94年、軍・官・民一体となった労働奉仕(ロウッ・アー・ペー)によってアスファルト道路が完成した。これにより、車で直接乗り付けられるような大金持ちの大臣、官僚、商人たちが大勢かつ頻繁に参詣するようになり、寄進も累増した。今や献納金だけで月に3000万チャットを集める大パヤーである。

 通常、仏に祈るのは来世の幸福であるが、このパヤーは現世での成功、とくに経済的興隆をもたらすことで名を成しており、軍政期の経済自由化路線と軌を一にして台頭してきたように見える。

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