衆院憲法審査会で意見を述べる参考人の早稲田大・長谷部恭男教授、慶応大・小林節名誉教授、早稲田大・笹田栄司教授(左から)=6月4日【拡大】
自衛権の解釈をめぐっても、明らかな変遷が見て取れます。1946年、吉田茂首相(当時)は、帝国憲法改正案が審議された帝国議会の衆院本会議において、「自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄した」と、自衛権を否定するかのような答弁をしたものの、50年には「独立を回復した以上は、自衛権はこれに伴って存する」と明言。さらに自衛隊が創設された54年、鳩山内閣の大村清一防衛庁長官は、「憲法は戦争は放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない」と述べています。
そうしたなかにあって、長年、集団的自衛権の行使が禁じられてきたのは確かですが、内閣による解釈変更が「立憲主義にもとる」というならば、この国は一貫して立憲主義に反してきたことになってしまうでしょう。
憲法学者の多くは、立憲主義を「憲法至上主義」「憲法がすべてに優先する」と捉えているように見受けられますが、立憲主義は、憲法を立てて国家運営や政治をするという考え以上のものではないのではないでしょうか。
そもそも、現行の憲法解釈に拘泥するあまり、他国の侵略行為から国家を守れず、国民の生命や安全、そして領土・領海を守れないのであれば、本末転倒も甚だしいと言わざるを得ません。憲法のために人間や国家があるのではなく、人間のために憲法があることを忘れてはならないと思います。