クラ地峡横断網計画の西側起点とされるラノーン県ラウン郡。眼下を流れるのがクラブリー川、対岸はミャンマー【拡大】
マレーシアやシンガポールに通じるマレー半島は、タイ南部地方の玄関口チュムポーン県に入ると極端に陸地がくびれ、最も狭い部分は東西に44キロメートルほどしかなくなる。クラ地峡と呼ばれるこの地域をめぐっては、200年以上も前から横断鉄道の建設や運河の掘削といった大規模開発が提唱されてきたが、巨額な工事費捻出の難しさなどから一例を除いては実現されることがなかった。ところが、ここにきて、韓国や中国、さらにはタイ国内から新たな提案が出されるなど計画実現の機運が高まり出している。韓国、中国両国政府の思惑とは? クラ地峡をめぐる歴史と現状を探った。
◆旧日本軍が建設
2013年1月。アンダマン海に面する南部ラノーン県ラウン郡の工事現場で第二次大戦中のものとみられる鉄道のレール片16本が見つかり、話題となった。レールは飴(あめ)のように曲がり、ひどく錆(さ)びていた。旧日本軍が建設したものの、戦時中に英印軍による爆撃を受けて壊滅、全容が不明となっていた「クラ地峡鉄道」のものであることだけは容易に察しがついた。
クラ地峡に交通大動脈を新たに敷く構想は19世紀半ばには浮上していた。マラッカ海峡を通る海上ルートは時間を要するうえ、海賊被害などのリスクもあった。マレー半島の鉱山開発という目論見(もくろみ)もある。英企業「シャム鉄道」が1859年にラーマ4世に申請した「クラ地峡横断鉄道計画」。これが記録の残るクラ地峡をめぐる最古の開発計画だ。国王は認可したものの、工事費が工面できずに断念。結局、この地に大量輸送網が実現したのは、それから80年以上も経過した第二次大戦中だった。