もんじゅ廃炉決定 「国策」で慢心、なれ合い体質の文科省と原子力機構 (1/2ページ)

 「夢の原子炉」といわれたもんじゅは、なぜ廃炉に追い込まれたのか。関係者は運営主体の日本原子力研究開発機構と、所管する文部科学省のあしき体質が背景にあったと指摘する。

 平成22年に原子力機構の理事長に就任し、改革に取り組んだ元原子力安全委員長の鈴木篤之氏は「機構の根深いおごり体質を改善できなかった」と話す。

 高速増殖炉の研究は日本原子力研究所(原研)で始まったが、国は昭和42年に動力炉・核燃料開発事業団(動燃)を設立し移管。唯一の研究機関となった動燃は慢心し、規制当局の指導を軽んじるようになった。

 鈴木氏によると、動燃は平成7年のナトリウム漏れ事故を軽視。事故の映像を隠蔽し批判を浴びたビデオ隠しも「当然の行為」との認識だった。原研との統合で機構が発足した後も、もんじゅは旧動燃側が運営し、この体質は引き継がれた。

 国策である核燃料サイクルの中核施設は、どんなトラブルがあっても安泰との思い込みもあった。反省は乏しく、22年の再稼働後も炉内装置の落下や機器の点検漏れが続発。安全文化やガバナンス(統治)の欠如は原子力規制委員会の運営主体見直し勧告を招いた。

 ずさんな管理体制はなぜ続いたのか。関係者は職員出向や天下りの受け入れでもたれ合う機構と文科省の身内意識を指摘する。機構は国と同格と思い上がり、同省の指導は甘くなった。

もんじゅに関わった元文科省幹部は責任回避とも取れる釈明