韓国の情報機関が再び大きく変わろうとしている。弾劾政局から誕生した文在寅政権。その重要閣僚の指名が遅れるなか、文大統領は当選翌日に早々と情報機関、国家情報院のトップ人事を発表。徐薫・元国情院第3次長(62)を院長に指名した。徐氏は南北首脳会談実現に意欲をみせる。親北姿勢の徐氏就任により重要な情報を持つ北朝鮮高官の亡命が減り、人的情報が劣化することが懸念される。
徐氏は指名後の会見で「現時点で首脳会談の話をするのは時期尚早だが、それでも首脳会談は必要だ。北朝鮮の核問題を解決できる糸口をつかめる。条件が整えば平壌に行く」と述べた。
国情院には政治介入禁止条項があるが、南北分断後、初の首脳会談となった金大中・金正日会談(2000年)では、国情院の林東源院長(当時)が秘密訪朝して調整した。徐氏はこのとき林氏の手足となって動き、首脳会談の舞台裏を熟知している人物なのだ。
林氏は北朝鮮の対南工作部署、統一戦線部と交渉し、首脳会談の見返りに韓国の財閥、現代グループから秘密資金約5億ドルを北朝鮮に送金させた。その後、秘密送金が明らかになり林氏は対北不正送金で逮捕されている。
徐氏はソウル大卒、国家情報院の生え抜きで、金大中時代の南北首脳会談に続き、盧武鉉政権時の首脳会談(07年)も担当した。文大統領といえば盧元大統領の側近中の側近で秘書室長も務めた。文氏と徐氏は盧政権下で南北首脳会談実現に向け仕事をした仲なのである。
韓国の情報機関は、朴正煕時代に韓国中央情報部(KCIA)として創設された。韓国に潜入した北朝鮮工作員を摘発し、国内の反政府運動を押さえ込み、情報収集には非合法な手段も使われた。
その後、金大中政権は情報機関の改編を断行し、名称も国家情報院に改めた。同政権が対北融和政策「太陽政策」を掲げていたこともあり、北朝鮮を刺激する情報収集活動を大幅に縮小。国情院の主目的も危機管理と安全保障に変更したため、職員の中にはクビになる者もいた。韓国情報機関はこのとき北朝鮮に対抗する機関から、北朝鮮と交渉する機関に変貌した。
徐氏を知る関係筋はその人物について、「彼は金大中、盧武鉉時代を通じて国情院内の対北戦略局で北との交渉を担当し、大統領府にも出向した。上部の意図を忠実に実行する官吏だ」と述べた。
また徐氏は米朝枠組み合意(1994年)後の96年から2年余、核兵器の材料となるプルトニウムを産出しない軽水炉建設の準備のため北朝鮮・咸鏡南道琴湖に滞在したことがある。「このとき北朝鮮とのパイプが深まった」(関係筋)ともされる。
親北政権の金大中、盧武鉉時代に“交渉機能”も加わった国情院はその半面、北朝鮮の内部情報、特に人的情報(ヒューミント)が著しく劣化したとされる。
北朝鮮に強硬だった保守政権の李明博、朴槿恵時代に人的情報機能の回復が試みられたが、再び親北の文政権登場で位置づけが再度、変わろうとしている。
関係者は「今後、北朝鮮からの高官亡命はなくなるだろう」と指摘する。保守政権下に国情院はさまざまなルートで北朝鮮高官の亡命を世界中で誘導、援助してきた。こうした誘導による亡命を“企画亡命”などと呼んできた。だが、今後は「事前にこうした情報が北朝鮮に流れる恐れがある」(同)というわけだ。
韓国の閣僚は、大統領の指名を受けた首相が閣僚を推薦、国会の聴聞会を経て大統領が任命する。しかし、情報機関トップは大統領自身が直接指名し国会聴聞会が追認する。大統領の意向が強く働くポストだ。選挙中に「ワシントンより先に平壌に行く」とまで言っていた文大統領が見込んだ徐氏の下、韓国の情報機関は大きく変化の時代を迎える。
(編集委員 久保田るり子)