【衆院選】「小池さんの『排除』」有権者には強すぎた…希望の党、候補が苦戦を振り返る (1/2ページ)

縁起物の「勝ち虫」トンボの飾りをつけた希望のたすきを掲げる3区の櫛渕万里氏=22日、市原市の選挙事務所(橘川玲奈撮影)
縁起物の「勝ち虫」トンボの飾りをつけた希望のたすきを掲げる3区の櫛渕万里氏=22日、市原市の選挙事務所(橘川玲奈撮影)【拡大】

  • 小池百合子代表のポスターが飾られた選挙事務所で選挙戦を振り返る千葉2区の希望新人、竹ケ原裕美子氏=23日午前1時ごろ、千葉県八千代市(橘川玲奈撮影)

 「野党が一丸にならなければいけなかった。小池(百合子)さんの『排除』という言葉も有権者には強すぎた」。投開票から一夜明けた23日、後片付けに追われる千葉県市原市の事務所で、千葉3区の希望元職、櫛渕万里(くしぶち・まり)氏は苦しい選挙戦をそう振り返った。

 一夜城のごとく結成された希望。小池代表の発言や、民進合流者の“踏み絵”と揶揄(やゆ)された政策転換などで期待は急速にしぼんだ。政権批判票は立民に拾われ、県内の選挙区は全敗に終わった。

 希望で比例復活したのはいずれも、元民進で選挙区に地盤のあった前職。一方、櫛渕氏のような、いわゆる「落下傘候補」らは、党勢の退潮に加え知名度や準備の不足から得票は伸び悩んだ。

 櫛渕氏は「落下傘から出馬し、まさにしがらみのない立場で戦えた。だが、地盤もなく大型の組織体制が作れなかった」と悔やむ。

 2区の竹ケ原裕美子氏も同じ悩みを抱えた。竹ケ原氏は静岡県で産婦人科医をしているが、出身地の本県で出馬。比例復活もかなわず、「地盤と実績を誇る自民候補に歯が立たなかった」。

 県組織がない希望は民進県連がサポートしたが、選挙後の政治活動については「民進県連で協力する方針にはなっていない」という。櫛渕、竹ケ原両氏も今後の政治活動については、拠点を本県に置くのかも含め「これから考えたい」としている。

民進の混乱は県連の存続にも暗い影を落とす