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小田原かまぼこ御三家の一角が「GoTo特需」の直前に倒産してしまったワケ (1/2ページ)

 新型コロナウイルスの影響で多くの企業が破産に追い込まれた。小田原のかまぼこ御三家の一角、「丸う田代(まるうたしろ)」もその一つだ。創業150年を超える同社は、いかにしてその歴史に幕を降ろしたのか。帝国データバンク 情報部『コロナ倒産の真相』(日経プレミアシリーズ)より紹介する--。

 ■創業は明治初期にさかのぼる

 「鈴廣」「籠清」と並ぶ、小田原かまぼこ「御三家」の一角、「丸う田代」が2020年11月30日に破産手続き開始決定を受けました。

 過去の経理担当役員による横領発覚、不動産取得に伴う多額の借入金も重荷となり続けました。近年は業績悪化に歯止めがかからず、最後はコロナ禍がとどめをさす形で、150年を超える歴史に幕を下ろしました。

 丸う田代の創業は、明治初期にさかのぼります。現在の「小田原かまぼこ通り」に面した土地にて、創業者の田代卯之助氏が鮮魚商を営むかたわら、かまぼこの製造に着手。地元・小田原は江戸時代から、東海道五十三次・箱根八里の宿場として栄え、沿岸漁業も盛んな町でした。豊富な漁獲量に注目した創業者は早速、かまぼこ作りに取り組みました。魚の吟味から煮出し、製法など試行錯誤を繰り返した末、明治10年頃に上質のかまぼこの製造に成功しました。

 独自の製法を受け継いだ2代目・永之助氏は、当時流行した料理の二色卵をヒントに「君まき」を開発。その後、当社の代表製品の一つに成長しました。やがて当社製品は小田原を代表する名産品として、県外にもその名が知られるようになり、需要も拡大。最新機械を導入した近代的製法を取り入れるとともに、品質のさらなる向上に努めました。

 戦後、丸うののれんは3代目・政吉氏、4代目・勇輔氏、5代目・勇生氏へと受け継がれました。この間、全国蒲鉾品評会に毎年出品した製品は、農林水産大臣賞や水産庁長官賞など数々の栄誉に輝いています。かまぼこの一大産地において、「鈴廣」「籠清」と並ぶ小田原かまぼこ「御三家」の一角に数えられるまでの地位を築きました。

 ■経理担当役員による横領発覚

 1974年には、総額8億円をかけて静岡県焼津市に静岡工場を建設し、主力生産を同工場に移しました。自社オリジナル商品の開発に積極的に取り組むとともに、業容を順次拡大させ、ピーク時の92年3月期には売上高約25億6300万円を計上。70年代から90年代にかけて毎期申告所得を公示するなど、自他ともに認める地元を代表する優良企業に成長していました。

 しかし、2000年代以降は箱根や伊豆地区の観光土産としての販売が鈍化。2002年には内部不祥事が発覚しました。経理担当役員のH氏(後に解任)が、8億5000万円もの会社資金を20年にわたり横領していたことが判明したのです。以降も売り上げは年々減少を続け、過去の不動産取得に伴う多額の借入金を抱え、各種リストラや横領事件関連の費用負担も重なりました。長年蓄積した内部留保を食いつぶし、2013年3月期にはついに債務超過に転落してしまいました。

 2015年3月期からは、外部コンサルタントの指導を仰ぎ、金融機関の協力も得ながら経営再建に努めました。しかし、年商を上回る借入金が重荷となるなか、2020年3月期の売上高は約14億5200万円にとどまり、約7200万円の当期純損失を計上。業績悪化に歯止めがかからず、5期連続欠損で資金繰りにも窮するようになり、2~3年前からは複数の取引先への支払遅延や支払延期要請が表面化しています。

 ■コロナ禍で売り上げが“蒸発”

 2020年3月期末時点の債務超過額が5億2500万円まで膨らみ、破たんの瀬戸際に追い込まれていた矢先、国内で新型コロナウイルスの感染が拡大。4月に緊急事態宣言が発出され、営業自粛の動きが日本中に広がりました。当社も例外ではなく、直営の元箱根港店、小田原駅前店が7月中旬まで臨時休業に追い込まれました。

 本店を含めこれら直営店の販売が“蒸発”したうえ、箱根地区のホテル・旅館、百貨店、土産店、高速道路サービスエリア内の店舗向けの販売も激減しました。このため、外部仕入れを減らし、工場生産もストップ。これに伴い、50人近くいたパート従業員との契約も解除し、自社オリジナル品は在庫対応に切り替え、手元資金の維持に努めました。

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