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【企業スポーツと経営】コマツ 女子柔道部(上)「ダントツ技」で世界制する
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アテネ五輪の柔道女子63キロ級決勝で一本勝ちし、優勝を果たした谷本歩実選手=2004年8月 コマツの女子柔道部は1991年、創立70周年記念事業の一つとして創部された。以来23年の間に世界選手権や五輪のメダリストを輩出し、全日本実業柔道団体対抗大会では10度の優勝を誇る。「世界に通用するダントツ技で、常に一本勝ちを目指して攻め抜く」という女子柔道部の精神は、そのままコマツの企業精神に通じる。世界各地で事業を展開するグローバル企業のコマツにとって、女子柔道部の活躍はグループ企業や社員の一体感をもたらすとともに活力にもつながっている。
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◆重なる企業戦略
さまざまな提案がある中で記念事業として女子柔道が選ばれたのは、一つには企業が支援して育成すべきスポーツはプロではなく、アマチュアでなければという考えがあった。もう一つの理由は、女子柔道が世界に広がっていく将来性のあるスポーツだと判断したからだ。そこには「日本発」で積極的に海外へ進出するコマツの企業戦略と重なるものがあった。
女子柔道部の部長を務める岡田正常務執行役員は「創部の提案者で、その後、社長や会長を歴任した坂根正弘さんをはじめとする歴代のトップが、全社を挙げて応援して継続していくという強い意志を持ってくれた」と話す。「やる以上は責任を持ち、ずっと続けなければならない」というのが経営陣の信念だった。
しかし、創部してすぐに強豪チームになったわけではなかった。創部6年目の97年に就任した松岡義之監督は「ぬるま湯につかっているようだった」と、当時の女子柔道部の状況を振り返る。
そこで、松岡監督がまず取り組んだのは選手たちの意識改革。日本代表に選ばれるトップクラスの選手たちと練習することで「外の力」を知り、有望選手をスカウトすることで部のムードを一変させた。「やるからには魂を込めて最後までやり抜く。世界を目指すという同じ目標に向かって努力する」。選手たちの意識を一つのベクトルに収れんさせることで「チームがまとまっていった」と松岡監督は話す。
その成果として、国際大会で優勝する選手も出てきた。ただ、2000年開催のシドニー五輪の日本代表には部員を送り出せず、松岡監督が自らに課した目標は果たせなかった。
このころ日本はデフレ不況が深刻化し、有力企業が野球部やバレーボール部などを廃部・縮小する動きが相次ぎ、コスト削減の嵐の前に日本の企業スポーツは苦境に陥った。コマツも業績悪化に一時見舞われたが、トップの強い意志もあって女子柔道部は活動を継続し、危機的な時期を乗り越えた。
松岡監督は、04年のアテネ五輪の日本代表を部員から出せなかったら「責任を取って辞任しよう」とひそかに決めていた。エースとして現れたのが、松岡監督が高校時代から注目していた63キロ級の谷本歩実選手(現コーチ、海外研修中)だった。筑波大学を卒業して04年に入社し、女子柔道部に入部した谷本選手はアテネ五輪代表の座を4月に獲得。五輪の大舞台で全試合、一本勝ちを収め、金メダルに輝いた。
◆勝っても負けても感動
松岡監督のチーム一体化策が功を奏し、コマツの社員挙げての応援も盛り上がりをみせ、女子柔道部は輝きを増した。谷本選手の活躍を機に、年間会費が1人1000円の後援会組織も立ち上げられた。会員はOBらも含めて現在6700人に上り、グループ各社と販売代理店など151社も参加している。
いまや国際的なスポーツとなった女子柔道は海外で開かれる大会も多い。コマツは米国や英国、ドイツ、スウェーデン、ロシア、インドネシア、タイ、インド、中国、ブラジル、オーストラリアなど世界各地に生産や販売拠点の現地法人を持つ。大会があるたびに50人から100人以上の現地社員らが応援に駆けつける。もちろんコマツの選手だけでなく日本の選手団をこぞって応援する。試合の後には選手たちとのなごやかな交流会が開かれる。
岡田常務執行役員は「コマツのダントツ技と攻める柔道は、選手が勝っても負けても感動をもたらしてくれる。チームの一体感にとどまらず、応援を通してコマツグループの現役やOB、海外の社員、関係先の人たちとの一体感へと広がっていく。世界に柔道を広めることに貢献する活動とともに、これは非常に大事なことだ」と語る。(岳中純郎)