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新幹線を支える日本の部品技術 極限の安全追求が生んだ“絶対に緩まないナット”

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新幹線を支える日本の部品技術 極限の安全追求が生んだ“絶対に緩まないナット”

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 この絶対に緩まないナットには前身となる製品「Uナット」があった。大阪工業大学を卒業後、技術者としてバルブの設計に携わっていた1960年、大阪で開かれた国際見本市で展示されていたねじをヒントとして考案。61年に脱サラで「富士産業社」という会社を設立し、ねじ問屋などへ営業活動を始めるが、「そんなん売れるか」と言われ、門前払いの日々。そこで大阪中の町工場に大小100個ほど入ったUナットの箱を置いて回った。最初は人件費や開発費は持ち出しという厳しい状況が続いたが、徐々に引き合いが入り3、4年後には経営が軌道に乗る。73年には年商15億円、従業員30人の会社になった。

 「高度成長期に入り、大量生産や合理化のための省力化、省人化へのニーズが産業界全体に高まったことが追い風になった」と、ハードロック工業の若林社長は当時を振り返る。

 「緩まないナット」とのキャッチフレーズで売っていたUナットだが、ある顧客から「緩むぞ」とのクレームが入った。掘削機などで激しい振動を与えたら、わずかに緩んでしまった。「人を喜ばせようと思って開発したナットで、顧客を怒らせてしまった。だったら本当に絶対に緩まないナットをこの手で作って見せようじゃないか」。幼少の頃からの発明好きだった若林社長の闘志に火がついた。

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  • 「絶対に緩まないナット」を開発したハードロック工業の若林克彦社長=大阪府東大阪市

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