高論卓説

李登輝氏に学ぶ「無私」の精神 トップ経営者に必須の心得

 台湾の故李登輝元総統が偉大な政治リーダーであったことは、7月30日の死去に伴い新聞が詳しく報じた。記事を読んで心に残ったのは、李氏が「無私」の人だったという点である。8月1日付の産経新聞に載った陳水扁元総統のコメントが印象的だった。約2年前、李氏の95歳の誕生日を祝うために訪ねて、「別れ際、『我是不是我的我』(私は、私でない私である)という言葉を贈られた」。陳氏は「自分個人という存在を超え、全てのことに尽くしていく」と理解した。(森一夫)

 李氏の著書「最高指導者の条件」にも「私でない私」という言葉が出てくる。これは「無私」の精神といえるのではないか。李氏は指導者に最も求められるものは「最終的に『公義』という言葉に帰一する」と書いている。「公義」とは何か。「私利私欲から離れ、全体の幸福のために尽くすことである」という。

 2000年の総統選挙で李氏の後継候補が野党の陳水扁氏に敗れ、国民党から民進党に政権が移った。「政権の平和的移行は空前の快挙」と評価し、「私は国家のためなら、党の利益を顧みなかった」と記す。この結果、国民党を出ざるを得なかった。

 米国の統合参謀本部議長や国務長官を歴任したコリン・パウエル氏も「リーダーを目指す人の心得」(トニー・コルツ氏と共著、井口耕二訳)で、「リーダーたるもの無私でなければならず、利己的であってはならない」と述べている。洋の東西を問わず、同じなのである。

 トップ経営者も、いかに経営手腕が優れていても、「無私」は欠かせない要諦である。キヤノンの御手洗冨士夫会長兼社長CEO(最高経営責任者)に、経団連会長になるだいぶ前、経営者の条件を尋ねたら、「無私」を即座に挙げた。私心がちらついては経営判断がぶれるからだ。

 京セラの稲盛和夫名誉会長は経営者の責任の重さを指摘する。「従業員を抱える企業を経営する以上、判断を誤って失敗したら、従業員の生活、人生がかかっているので、大変な罪悪を犯すことになる」と言う。

 では何をよりどころに判断するのか。「それが人間として正しいことなのかどうかを基準にすべきだ」というのが稲盛氏の心構えである。自分や自社の都合を優先しない。きれいごとに聞こえるが、一技術者から京セラを創業して、今日に至るまでにいろいろ経験した。その中から会得した成功の方程式なのである。

 創業期、若い社員をまとめていくには、人間として裸になって対応するしかなかった。後年、第二電電(現KDDI)を設けて通信事業に乗り出したときも、「私心は無いか」と自問して決断した。当時、無謀な冒険と見られたが、多くの応援を得られたのは、通信自由化の大義を掲げて突き進んだからだろう。

 とはいえ成功した経営者が老害や独善に陥ることはよくある。「無私」が大切だと分かっていても、実際には簡単になれるものではない。稲盛氏は「私だって無私にはなり切れません。そうありたいと毎日思っているから、大きな逸脱をしないだけのこと」と語っている。

 李登輝氏は「古典を読むことは重要で、指導者は伝統から多くを学ぶべきである」(「最高指導者の条件」)と薦める。自己を見つめる内面性を培う教養が基礎になるとの考えである。

【プロフィル】森一夫

 もり・かずお ジャーナリスト。早大卒。1972年日本経済新聞社入社。産業部編集委員、論説副主幹、特別編集委員などを経て2013年退職。著書は『日本の経営』(日本経済新聞社)、『中村邦夫「幸之助神話」を壊した男』(同)など。

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