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【飛び立つミャンマー】ビルマ初代首相肖像、家族の元へ 戦後史刻み70年ぶり
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かつて自宅にあったバー・モウ氏の肖像画の複製を前に、父、伊原宇三郎氏の思い出を語る乙彰氏(宮野弘之撮影) 英国植民地時代のビルマ(現ミャンマー)の初代首相、故バー・モウ氏の肖像画が完成から70年以上を経て、家族の手元に届けられることになった。ただ、届けられるのは原画ではなく絵を複製した陶板だ。そこには一枚の絵をめぐる日本・ミャンマー両国の関係者の思いと戦後史が刻まれている。
◆日本で亡命生活
バー・モウ氏は、ビルマが英国の直接統治する植民地となった1927年に初代首相となった。戦時中、日本が提唱し、主導した大東亜共栄圏構想に基づく大東亜会議に国家元首として出席。戦後、日本に亡命し、一時、新潟県南魚沼郡石打村(現南魚沼市)の薬照寺にかくまわれていた。その後、ビルマに帰国し、政界に復帰したが、ネ・ウィン軍事政権によって身柄を拘禁される。釈放されたが、77年に亡くなっている。
今回、バー・モウ氏の肖像画を家族の元に返すことになったのは、同氏の孫娘で弁護士のユザさんが、昨年、日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長(元郵政相)、仙谷由人会長代行(元官房長官)と会ったことがきっかけだ。
仙谷氏によると、会談でユザさんから、自分の名前はバー・モウ氏が日本で潜伏生活を送った寺に近い越後湯沢の地名から取ったこと、さらに同氏の肖像画が日本に残されていることなどを聞いたという。寺のある新潟県南魚沼市は渡邉氏の地元で、肖像画を描いた洋画家の伊原宇三郎氏は仙谷氏と同じ徳島出身だったこともあり、肖像画を家族に返せないかという話になったそうだ。
伊原氏の二男で画家の乙彰氏によると、絵は宇三郎氏が43(昭和18)年3月にバー・モウ氏を写生し、後日、肖像画に仕上げた。バー・モウ氏は180センチを超える長身だったとされ、絵でも民族衣装の胸元には、同年3月に受勲したばかりの勲一等旭日大綬章をつけ、椅子に腰掛けた姿は風格が漂う。
実物は東京・竹橋の国立近代美術館に保管され、94年に徳島県立美術館などで開かれた宇三郎氏生誕100年記念の展覧会で展示された。
しかし、返還は容易にはいかなかった。実はバー・モウ氏の肖像画は、米国から貸与されているだけで日本に所有権はなく、日本側の意思だけではミャンマーに返そうにも返せないことがわかったからだ。
戦後、米軍は藤田嗣治氏や伊原氏、小磯良平氏ら有名画家による戦争画を戦利品として接収しており、バー・モウ氏の肖像画もその一つだ。戦時中、伊原氏は軍に徴用され、戦地の模様やビルマの文化・風習などを描いており、肖像画も他の作品とともに米本土に送られた。
◆米から無期限貸与
60年代に入り、米国との返還交渉が行われ、日本に戻されることになったものの戦利品という位置付けは変わらず、戦後70年近くたった今も他の152点の戦争画とともに、日本に無期限貸与されているのだ。
そこで、原画の返還ではなく複製画を送ることにし、仙谷氏が徳島の大塚国際美術館に相談したところ、同美術館が展示している陶板画を制作している大塚オーミ陶業が、複製を請け負うことになった。
美術館から提供された原画のポジフィルムをもとに作られた陶板の複製画は、額縁を含めて縦116センチ、横89.8センチと大きさは実物と同じだが、重さは約60キロにもなった。先日、厳重に梱包(こんぽう)され、船でミャンマーに送られた。来月にはユザさんらの元に届けられる。
バー・モウ氏は戦時中、日本軍に協力したとして、ミャンマーでは建国の父とされるアウンサン将軍に比べ、あまり評価されていない。しかし、バー・モウ氏が一貫してミャンマーの独立と民主主義の確立、さらに日本とミャンマーの友好に尽力したのも事実だ。今回の肖像画の返還が、バー・モウ氏のミャンマーだけでなく、日本での再評価につながるきっかけとなることを期待したい。
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【プロフィル】バー・モウ氏
1893年2月8日生まれ。印カルカッタ大、英オックスフォード大、仏ボルドー大で学び、帰国後、弁護士を経て政治家に。1937年、英領ビルマ初代首相。日本軍政下の42年8月に行政府長官。43年7月に国家代表に就任。77年5月29日死去、88歳。(編集委員 宮野弘之)