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風景の美醜に常に敏感であれ 「まもることにコミットする」大切さ

安西洋之

 我々の人生あるいはこの生きる世界とは預かりものであり、この世界がもつ美しさとヒューマニティーを「まもることにコミットする」大切さを説く。

 「まもることにコミットする」という表現が最適かどうか分からないが、クチネッリ氏が好んで引用するローマ皇帝ハドリアヌスの「世界の美しさに責任を感じる」との言葉にすべてが含まれている、と考えて間違いがないだろう。

 ここにも「ありがたし」が根底にある。

 さて、クチネッリ氏がこの意図で風景に関して具体的に実行したのが、丘から眺めると視界に入ってくる、1950-70代の高度成長期にできた安普請の工場の建物を買い取り、解体することだった。そして周辺を緑地帯とする。

 2014年、ミラノ市内で開催されたこのプロジェクトの発表もぼくは聞き、「風景の番人としての決断 いつの時代でも変わらない至高の価値」とのタイトルのコラムにしたが、クチネッリ氏の決断に、ぼくは驚いた。

 なぜならば、建物はなるべく長い間存在する価値を重んじ、工場や倉庫なども産業遺跡として再利用を促すのがイタリアの文化に対する考え方である、と思ってきた。しかし、残すべき価値のないものを無駄に残すべきではない、とクチネッリ氏は意見表明したのだ。

 今週、次世代に考えさせるための「余白」である緑地も含め、きれいに整った風景を眺めながら、ぼくは「美しさ」を最重要要素として位置付ける文化をどう維持するかに想いを馳せた。

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