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「ひらめきは執念から」 偉大だった“インスタントラーメンの父”

ニュースカテゴリ:暮らしの生活

「ひらめきは執念から」 偉大だった“インスタントラーメンの父”

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【父の教え】日清食品ホールディングス社長・CEO 安藤宏基さん

 世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明し、その後、「カップヌードル」も開発した日清食品の創業者、安藤百福さん。次男の宏基さん(66)にとって、幼い頃のイメージは「朝から晩まで考え続ける父」だった。

 百福さんが大阪府池田市の自宅裏に作った小屋でチキンラーメンの研究に取り組み、完成させたのが昭和33年。「おーい、手伝え」。小屋から百福さんの声が聞こえると、家族総出で出荷を手伝った。宏基さんの役目はラーメンを1つずつセロハンの袋に詰める仕事だった。

 「小学4、5年の頃でした。でも、おやじは一体、いつ眠っているのかと子供心にも不思議に思ったほどでした」。百福さんは午前4時頃から夜遅くまで開発に没頭。「おやじの性格の最大の特徴は執念」(宏基さん)で、「発明はひらめきから、ひらめきは執念から」との百福さんの言葉を今でも大切にしている。

 「完全主義者でした。大胆なのに細心さもあり、心配性。例えば、商品のロゴの字形でも納得するまで徹底的に考えていました」。完璧なものを世に出したい。百福さんの思いは実を結び、世界的なヒット商品を世に送り出した。

 そんな百福さんの考えは終生、変わらなかった。そのため、衝突したことも何度かある。

 亡くなる前年、百福さんが95歳のとき。自宅を訪ねた宏基さんは、東南アジアに工場を建てようという計画を話した。しかし、百福さんは「広げ過ぎるな。うまくいかない」。議論を続けたが最後には「俺がやめるか、お前がやめるか、どっちかだ」と怒り出した。

 宏基さんはその迫力に圧倒され、「分かりました。わたしがやめます」と譲歩。百福さんは矛を収めた。「もう引退していたのかと思ったら、全然」と苦笑する。

 父とは違うと思っていた。だが、年を重ねるにつれ、似ているところがあることに気づき始めた。「ブレークスルー(障害の壁を突き破ること)に対するしつこさは、知らず知らずに学んでいる。遺伝子として受け継いでいるんでしょうね」

 百福さんが亡くなって間もなく7年を迎える。しかし、意思決定をする際には「創業者ならどう考えたか」と思案するという。「まだ生きているよう」。偉大な創業者との会話は今日も続いている。(袖中陽一)

 ≪メッセージ≫

 食の仕事は「聖職」。中途半端な気持ちで携わってはいけない。そう教わったことを肝に銘じて毎日の仕事に取り組んでいます。

 【プロフィル】安藤百福(あんどう・ももふく) 明治43年、台湾生まれ。幼くして両親を亡くし、祖父母に育てられる。昭和8年、大阪市で貿易業を始める。33年、日清食品創業、「チキンラーメン」発売。46年、「カップヌードル」発売。平成19年、96歳で死去。

 【プロフィル】安藤宏基(あんどう・こうき) 昭和22年、大阪府池田市生まれ。46年、慶応義塾大商学部卒。48年、日清食品入社。60年、同社社長。平成20年、日清食品ホールディングス社長・CEO。22年、国連世界食糧計画WFP協会会長に就任。

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