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書評
直木賞に決まって 自らの運を投じる、ということ 朝井まかて
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第150回直木賞に決まった朝井まかてさん 私にとって「直木賞」は、テレビや新聞の中の出来事だった。半年に1度、いろいろな受賞者が出る。茶の間でテレビを見ながら、へえ、あの作家さん、とっくに受賞してはると思ってたのに、まだやったのねと思うことも、こんな作家さんがいたのか、どれどれ、ちょっと読んでみようとメモすることもあった。
小説を書くようになっても、それは変わらなかった。しいて言えば、デビューのきっかけになった「小説現代長編新人賞」の選考委員の名を呼び捨てにできなくなったことぐらいだ。もちろん誰にアドバイスされたわけでもない。私の作品を読んでくれた人は「イジュウインシズカ」ではなく、「伊集院さん」というリアルな存在になったのだ。
けれど文学の世界は、ずっと遠いままだった。私のデビュー作は全く売れなかったのである。ライター仕事を続けながら次も書いたけれど、出版に漕(こ)ぎつけるのさえ容易ではなかった。評判もぱっとしない。それでも、ぽつり、ぽつりとまた次を書いた。
正直に申せば、そもそも仕事を持ちながら家事をする私がもう一つの仕事を持つということは、周囲への影響が大きい。締め切りの前になれば徹夜することもあるので、次の日は使いものにならなかったりする。お昼前にノロノロと起き出したら、洗濯物を干している夫の後ろ姿が見えた。なんだか胸が詰まって、私はとんでもないことを始めてしまったのだろうか、そう思ったこともある。
けれど、やめようとは一寸たりとも思えなかった。何十年もかかって、やっと「小説を書くこと」を始めたのだ。何を失っても、これだけは私の人生から手放したくなかった。
ちょうど去年の暮れのことだ。夫が宝くじのCMを見て「そろそろ、うちも買わんとあかんなあ」と言い出した。
「そやね。明日、出掛けるんでしょ。買っといてよ」
「あんたが買いぃや。行き当たりばったりのわりには、運はあるやん」
「やめて。へたに当たったらどうすんの。私、そこで運を使いたくないねん」
「けど7億やで、7億。使いごたえ、あるで」
「あかん、あかん」
すると夫は私に向き直り、両の拳を差し出した。
「右は7億が当たる運、で、左は作家としての才能。どっちか当たるとしたら、どっちにする?」
私が選んだ方は、ご想像の通りである。生活キャリアが長いので、世の中にはお金で片がつくことも多い、それは身をもって知っている。それでも、もし願うことを許されるならば、私は一生、書き続けられる才能が欲しい。
そう言うと、夫はにんまりと笑ってこう返したものだ。
「よっしゃ、わかった。ほな、親爺(おやじ)に買わそ」
まったくもって、ちゃっかりしているのである。ちなみに、義父も今や足が弱っているので宝くじ売り場にたどりつくことができず、私たち夫婦のあくどい企(たくら)みは頓挫した。
夫がなにゆえ自らの運を宝くじに投じようとしなかったのか、それは今もって謎である。(寄稿)
あさい・まかて 昭和34年、大阪府羽曳野市生まれ。甲南女子大学文学部卒業。広告制作会社でコピーライターとして勤務した後、独立。平成20年、『実さえ花さえ』(『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記』に改題、講談社文庫)で小説現代長編新人賞奨励賞を受けデビュー。25年、『恋歌(れんか)』(講談社)で本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。1月、同作で第150回直木賞の受賞が決定。大阪市在住。