灘中→麻布高校→東大…「私の力では絶対に勝てない」 突き動かした劣等感
配信元:PRESIDENT Online 更新「ほかの研究者がどのような研究をしていて、どのくらいの深さまで掘り下げているか、といったことは意識していました」
1982年、35歳のとき、博士号(東京大学)を取得する。この頃、東大の地震研究所の梶浦欣二郎教授(故人)から、定年退官で退職するから研究室を引き継いでほしいと話を受ける。
都司さんは、梶浦教授から研究指導は受けたことがない。
「天才・梶浦と呼ばれていたほどの研究者から誘われ、恐れ多いと思い、当初はお断りをしたのです。梶浦先生の研究室の名を汚してはいけないと思いました」
梶浦教授は、都司さんの論文に早くから注目をしていたようだった。
「私は安政東海地震(1854)の津波による被害などを調べて、論文を書いたのです。まず、地震が発生した地域の2500ほどの寺院の住職に手紙を送りました。自寺の過去帳に、この地震で死亡した、寺の檀家の人数が書かれてあったら教えてくださいという内容です。6割ほどの寺から回答をいただきました。その被害記録から、地震の震度や被害について書き上げたのです」
都司さんは、梶浦教授は論文から何かを感じてくれたのではないかと語る。
