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自分が住む外国批判を続けると「コミュニティーに入れないかわいそうな人?」

安西洋之
安西洋之

 イタリア人もイタリアの政治・経済・文化批判を延々と飽きずにやっている。欧州人は「沈みゆく欧州」という悲観的な見方を語るに熱心である。1世紀以上も続いている!

 だからといって、外国人であるぼくが「そうだよね、そうだよね」と同意していると、相手は口には出さずとも「君は本当に分かって頷いているのか?」と問われているような気がする。

 「軽く一度頷く程度ならいいが、お前にそんなに強い口調で批判される理由はない」と言われれば、それもそうなのだと思う。たぶん、このニュアンスは、どこの国でもあまり変わらないと思う。

 日本にいる外国人があまりに日本批判を目の前ですれば、日本人もだんだんと不愉快な気持ちになるはずだ。「自分で言うのと人に言われるのは違う!だいたい、あまりに一面的な経験に基づいている批判だ!」と。

 その一面の経験は外国人であるがゆえに「見えた部分」であり、最初は「なるほど、我々には見えないところだ」と持ち上げる。だが調子にのって批判のボルテージをあげると、「コミュニティーに入り切れていない可哀そうな奴」とみなされかねない。

 人って、そういうものでしょう?

 それでは外国人の目には触れにくい言葉で話し書けばよいのか?つまり、ぼくの場合であれば、イタリアや欧州のことを日本語で批判するとのパターンである。

 ストレス発散にはなるかもしれない。あるいは日本の人から「出羽守ではない(外国の事例を肯定的に引き合いに出してばかりいない)」と認知されるには良いかもしれない。だが、それ以外に何かよいことがあるだろうか?

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