私がウソの新規則発表を通じて従業員に伝えたかったのはこういうことです。
- 信用しているからルールはできる限り少なくしたい。
- でもそれには、一人ひとり考えて行動する必要がある。
例えば、細かいことですが、遅刻ひとつとっても、鉄道会社からの遅延証明書の提出は求めません。「電車が遅れていたため出勤時間が遅れた」と言われればそれを信用します。第三者のお墨付きを、わざわざ時間を使って発行してもらう必要はないと考えています。
私は従業員のことを家族同様に考え、信用しています。でなければ、大事なだいじな生徒の命を先生たちに託しません。
ヒエラルキー VS ヘテラルキー
理想的で完璧な社会とは、互いを思いやり、会社の立場、経営者・管理職の立場、中間管理職の立場、現場の立場、それぞれがそれぞれの立場を理解してあげられる社会です。互いに“配慮の鬼”になれば、ルール、規則というのは不要です。ただ、そのようなユートピア(理想郷)は存在しませんので、社会には一定のルールが必要です。
しかし、トップが決めたルールや指示に従うだけの「ヒエラルキー型(Hierarchy)社会」では、ルールに縛られ過ぎて個々の自由な発想を阻害してしまいます。かといって、個の自由を尊重する「ヘテラルキー型(Heterarchy)社会」にも、個が強すぎてカオスになるリスクがあります。
【Hierarchy ヒエラルキー】
トップからの指示に従う社会
規則・ルールが大事≒縛られて自由な発想ができない
【Heterarchy ヘテラルキー】
コミュニティの中でコラボレーションする社会
自由が大事≒個人が強すぎてカオス(混沌とする)
この2つの間でうまくバランスを取りたいものです。ルールで固められた同質の人が「量産」されるようなヒエラルキー型に偏った時代は終わりに来ており、今後はより「個」を尊重するヘテラルキー型の社会に移ろうとしています。