背脂チャッチャ系とは? 環七ラーメン戦争の戦端がまさに開かれようとしていた頃、『なんでんかんでん』とツートップを張る存在として客を集めたのが、板橋区ときわ台の『土佐っ子』である。こちらは連載第3回「1960」で紹介した『ホープ軒』と同時代に屋台を引き始め、環七や川越街道を流した古参。川越街道の下頭橋、そしてときわ台を拠点にした後、76年には同地に店舗を構えて人気を博す。
この店の特徴こそ、「背脂チャッチャ系」とジャンルが生まれたほどの独自スタイルだ。ホープ軒に連なる豚骨醤油ラーメンだが、丼にスープを注いだ後の調理工程が特異。平らな網ザルにゼラチンぷるぷるの背脂をすくい、ひしゃくをかぶせてと擦りながら、丼の上で「チャッチャ」と上下に振るのだ。
ザルの目からは背脂が飛び散り、白い脂粒子がスープの全面をビッシリと覆う。ホープ軒をはじめ、スープにコクを与える意味で背脂を加える店は存在したが、ギトギト脂だらけのルックスにまで昇華させた店は、この『土佐っ子』以前にはない。『なんでんかんでん』の豚骨スメル、そして『土佐っ子』の「背脂チャッチャ」。過剰なラーメンが、甘美なまでの魔性を放つ。環七は、まさに「刺激的な快楽消費の場」として若者たちを誘引したのだ。
■警察と住民が長蛇の行列と対峙した環七ラーメン包囲戦
90年代初頭に開戦した「環七ラーメン戦争」。今では「環七通り沿いのラーメン店が覇を競い合った現象」として回顧されるが、当時は「ラーメン屋vs.住民」の紛争から始まったバトルであった。
エンターテイナーの道を志したこともある川原の慧眼と行動力により、『なんでんかんでん』はメディアの活用に長けていた。雑誌の編集部にはクーポンをつけたプレスリリースを配信して掲載をアピールし、テレビにも多数登場。具材の海苔に食用インクでロゴを描いた「プリントのりの発明者」、「麺の茹で方で“粉落とし”を命名し、麺カタブームの火付け役」としてブランディングにも余念がなかった。その極みは、テレビ番組『¥マネーの虎』(2001年~04年)へのエンジェル投資家としての出演だろう。
メディアへの頻出もあり、ピーク時には1日1000人以上の客が押し寄せた『なんでんかんでん』だが、90年代初頭の駐車場キャパは13台に過ぎなかった。店舗付近には違法駐車の列ができ、行列に気を取られる見物渋滞も発生。ただでさえ交通量の多い環七に、ボトルネックとなる「なんでんかんでん渋滞」が発生。違法駐車を避けた車にライダーが追突する死亡事故が発生したほか、反対車線に駐車して環七を横断したドライバーが轢かれる事故も発生。
この状況に眉をひそめた地元住民はプラカードを持って監視。地元警察も数か月にわたってパトカーを常駐させるなど監視体制を強化したほどだ。94年の写真週刊誌『フライデー』は「死者まで出た! 東京環七『ラーメン屋戦争』の現場」と題し、パトカー2台、プラカード隊20名が並ぶ『なんでんかんでん』の現場を激写している。