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【軍事情勢】「民主主義」がもたらす災い

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【軍事情勢】「民主主義」がもたらす災い

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 エジプトの内乱の解決方法を論じた8月20日付英フィナンシャル・タイムズ紙(FT)は《エジプトに必要なのは民主主義より内戦回避》と題した記事の中で、こう言い切った。

 《唯一残された手段は、一方が勝利を収めることだ》

 FTは《今のエジプトで民主主義の回復追求は非現実的》と悲観的だ。なぜなら-

 (1)エジプト軍は明らかにムスリム同胞団と決着を付けようとしている(2)選挙が平和ムードで行われ、敗者が冷静に選挙結果を尊重するなど想像できない。

 従って《おぞましい現実に目を向け、互いに相容(い)れない数多くの目標に優先順位を付けねばならない》。《投票箱の登場より、社会の安定を優先させるべき。政治抑圧や自由の否定を見たくはないが、内戦に比べればマシ》《無秩序状態長期化はテロを生み最も危険》だからだ。

 斯(か)くして《軍に速やかな民主主義への回帰を迫るより、むしろ人権保護と公明な政府の復興に向け、次善の策を採るべき》と、冒頭の結論を導いた。

 文民統制拒絶が国民救う

 そもそも、わが国で「シビリアン・コントロール=文民統制」と呼ばれる《政治による軍の統制》は必ずしも、大多数の日本国民が信じて疑わぬ「民主主義の象徴」などではない。国家・国民と軍の体質で、合理的政軍関係は決まるのだ。

 例えばエジプト内乱に火を付けたチュニジア政権崩壊。政権を追われ亡命したジン・アビディン・ベンアリ大統領(76)は、元は陸軍大将で穏健な社会主義者ではあったが1988年、アラブ諸国初の拷問等禁止条約批准国となるなど、曲がりなりにも民主化を進めた。政府/党分離や大統領選挙実施もベンアリ氏の決断だった。フランスの社会政治研究センターは氏に《民主主義・人権国際賞》を贈っている。

 23年以上政権を維持した末、高い失業率や物価に対する国民の不満が噴出し、2010年末から全土で大規模退陣要求デモが起きる。当初は民主的手法で乗り切ろうとしたベンアリ氏だったが結局、陸軍参謀長に国民への発砲を命じる。だが、参謀長は拒み「あなたはもう終わりだ」と引導を渡す。

 しかし、チェニジア大統領は《軍の最高指揮権》《閣僚の任免権》を有する。明らかに、軍に対する政治の優位が無視された。日本の左翼の常套句(じょうとうく)「文民統制の崩壊」である。それでも国民は、デモ弾圧を続けた内務大臣所管の治安部隊とは対照的に、軍を称(たた)える声が大きい。

 インドの悲劇

 逆の悲劇も起こっている。

 インドは中印戦争(1962年)前夜も、マハトマ・ガンジー(1869~1948年)ら独立運動の文民指導者の人気が高かった。英領時代に独立運動鎮圧に向け英国が創設した印軍は植民地主義の手先とみられ、独立後も政治への影響力が弱く、政治による軍の統制は容易だった。時の文民首相ジャワハルラル・ネール(1889~1964年)は当初、中国の膨張主義を警戒しつつ、むしろ積極的友好関係構築に邁進(まいしん)した。関係濃密化で平和を維持せんと欲したためだ。ところが、中印国境で哨戒中の印兵が戦死するや印世論は激昂(げきこう)し「ネールは軟弱」と非難はエスカレートしていく。選挙で選ばれる民主国家における政治家の多くは《民意》に媚びる。ネールは開戦を決心する。

 多くの軍高官が「軍事環境の未整備」から「時期尚早」を唱えた。反対した軍人は解任され軍事法廷に立たされた。結果、印軍は旅団長2人を含め投射将兵の7割が戦死・行方不明か俘虜(ふりょ)となった。現実に死を賭(と)して戦う軍人は無謀な戦(いくさ)を避けるが、後方に居て血を見ない文民は蛮勇を振るう-ベトナム戦争(1960~75年)中の米国でも見られた政(官)軍関係だ。それでも文民統制は保たれたことになる。もっとも今尚(なお)、中国軍への劣等感を払拭できずにいる印軍の「損害」は、中印戦争における将兵損耗の比ではない。

 武人の専門的知見を活(い)かせぬ悪しき文民統制は、首相や防衛大臣の側近くに絶えず自衛隊将官が陣取っていない日本でも見られる。古くは《湊川(みなとがわ)の戦い》を前に、戦上手の南朝・楠木正成(1294?~1336年)が京都を撤退し、敵方を京に引き入れた後に挟撃する戦法を主張するも、公家が「度重なる(仮御所への天皇)動座は体面が悪い」と退けている。楠木勢は壊滅し、楠公(なんこう)は自裁する。

 誤りを繰り返す民意

 シビリアンには、武官の対語《文民》の他《一般国民》という意味もある。民意なる権力が文民ネールに間違った決心を強制したように、一般国民も文民も歴史上誤りを繰り返す。武官も国家を葬る重大な過ちを犯すことは歴史に明白だが、エジプトやチュニジア、インドのケースは、シビリアンの過ちを軍がフォローした側面もある。

 ナチス=国家社会主義ドイツ労働者党を産み落としてしまったのも民意だった。帝政ドイツが倒れワイマール民主制が打ち出されたが、民意を尊重する余り国民投票が乱発された。政治家は民意に操られ、首相も目まぐるしく交代。その政治不信の間隙(かんげき)を突いてアドルフ・ヒトラー(1889~1945年)という文民が大戦を指導した。

 「民主主義の暴走」が全体主義を招いた反省から、ドイツでは野党が内閣不信任案を提出する際には、後継首相を指名しなければならず、しかも新首相支持が過半数に達しなければ不信任案を可決できない。戦後の独首相はわずか8人。民意の制限により、欧州では突出して政治が安定している。

 ところで、意図的に流す嘘《デマ=デモ》は本来《民衆》の意。デマを真実の中にちりばめれば語源《デマ・ゴギー=民衆扇動》を生む。民衆を操り支配するのが《デモ・クラシー=民主(衆)政治》である。この構図こそ、ワイマール体制崩壊に至る悲喜劇の脚本ではないか。

 ただし、民主党ができもしない大言壮語で、自民党から支持を剥奪していく過程は似て非なる悲喜劇。ヒトラーの才気は尋常ではなかったが、民主党政権誕生は暗愚な政治家と衆愚が互いに作用しあった、実(げ)に恐ろしき危険な組み合わせだった。一方エジプトでは、民衆の間に厭戦(えんせん)気分が高揚しつつある。

 民主党政権誕生も内乱も、民衆自らが選び刻んだ「ほんの少し前の歴史」だったことなど、もはや忘れたかのようだ。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS

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