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楽天・田中将大投手 絶対的エース手放す決断は

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楽天・田中将大投手 絶対的エース手放す決断は

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 すごい男がいたもんだ。楽天の田中将大(まさひろ)投手(24)である。

 今季開幕から全て先発で22連勝、22勝0敗の田中は、チームの初優勝がかかった9月26日の西武戦の九回にリリーフのマウンドに上がり、胴上げ投手となった。

 すでに今季の最多勝が確定し、1点台の防御率も、目下10割の勝率も、あらゆる記録でずば抜けている。MVPも沢村賞も、おそらく、ありとあらゆる賞という賞を持っていくだろう。

 どこへ? アメリカへだ。

 このまま田中が楽天で活躍を続ければ、2015年にはフリーエージェント(FA)権を獲得する。田中が希望すれば、楽天はただで彼を放出せざるを得ない。またFA権取得の年が近づけば近づくほど、「価値」は下がることになる。「ただ」になるのを待てばいいのだから。

 これ以上ない成績をあげたこのオフにポスティング・システムにかかれば、ダルビッシュ有の40億円、松坂大輔の60億円を上回る移籍料が見込めるのだという。

 今季の成績で跳ね上がる来季の年俸との差し引きを考えれば、楽天球団も手放す決断を下すしかなくなるのではないか。冷たい言い方かもしれないが、球団にとって最大の商品は選手である。高く売れる時を見極めることも必要なのだ。莫大(ばくだい)な移籍料は、今後の楽天を強くする基盤となる。

 だが、田中以上のエースが球団に、いや日本球界に生まれるかどうかは難しい。田中は球が速く、変化球が切れ、頭もクレバーだ。それだけではない。例えば優勝を決めた9月26日夜。西武にリードを許していた場面で彼はブルペンに向かった。ひたすら、ゆっくりと。

 「僕がブルペンに向かう姿を見て皆が何かを感じ取ってくれれば」と思っての足取りだったのだという。その姿が、アンドリュー・ジョーンズの満塁一掃逆転タイムリーを生んだ。それほど彼は、チームに影響力を与えるエースだったのだ。

 来季以降、田中を生で見ることは難しくなるかもしれない。そう思えば思うほど、この秋のポストシーズンが貴重な舞台に思えてくる。

 ≪見せてもらった野球の底力≫

 スポーツの世界では、こういう奇跡的なドラマがありうる。球界再編のおまけのように、弱小寄せ集め集団としてスタートしたパ・リーグの東北楽天が、球団創設9年目で初優勝を果たした。

 東日本大震災で、当時の嶋基宏選手会長が「見せましょう、野球の底力を。見せましょう野球選手の底力を」と宣言してから、2年半の快挙でもある。

 存分に、野球の底力を見せてもらった。それは優勝のマウンドで田中将大投手が雄たけびをあげた瞬間の、スタンドの爆発的歓喜に、地元仙台市クリネックススタジアム宮城に集まったパブリックビューイングのファンが飛ばした風船の数に、宮城県南三陸町の仮設商店街に集まった約60人の被災者の喜びように象徴されていた。

 田中が優勝を決める最後の打者を三振にとり、投球を受けた嶋はマウンドに駆け寄りながら、もう泣いていた。「いつになったら底力を見せるんだ」の声に、悩んだ夜もあったのだという。

 選手らはグラウンドだけで戦ったわけではない。被災地の子供らと交流を続け、募金活動など支援の先頭に立った。今季加入したジョーンズはキャンプ前の1月、被災地を訪ねて「このチームは特別だと思っていた」のだという。

 嶋選手は震災直後のスピーチで「誰かのために戦う人間は強い」とも話していた。被災者のことを思い、被災地の人々に励まされながら戦い続けた結果の優勝である。

 震災の年の7月、ドイツで行われたサッカーの女子ワールドカップで、日本代表「なでしこジャパン」は被災地のビデオを見て涙を流しながら優勝した。阪神大震災が起きた1995年には、オリックスが「がんばろう神戸」を合言葉に、イチロー選手らの活躍でリーグ優勝した。

 2020年夏季オリンピック・パラリンピックの開催地となった東京は招致活動で、震災で知った「スポーツの力」の確認と発信を訴えてきた。最終プレゼンテーションに登壇した宮城県気仙沼市出身のパラリンピック代表選手、佐藤真海(まみ)さんは「スポーツの力」を、「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力。人々を結びつける力」と表現した。

 楽天の優勝はスピーチの言葉を、スポーツの力を証明した。(EX編集部/撮影:春名中、中鉢久美子、中井誠、共同/SANKEI EXPRESS

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