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建山義紀のメジャーリーグ サバイバル 自己最多イニング登板に手応え

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建山義紀のメジャーリーグ サバイバル 自己最多イニング登板に手応え

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 最後までメジャー昇格の連絡は届かなかった。

 マイナー契約の選手がメジャーへ上がるラストチャンスは、メジャーのベンチ枠が40人に拡大される9月1日だった。そこでその枠に滑り込むことができなかった時点で、私の今季は終了してしまった。

 メジャーに挑戦して3季目。初めて、一度もメジャーのマウンドに上がることができなかった。

 今季はレンジャーズとマイナー契約を結んで開幕を迎え、6月下旬にヤンキースへトレードになった。

 オフにマイナー契約ながらオファーをくれていた球団だったので、自分を必要としてくれていると期待を胸にメジャー昇格を目指したのだが…。

 打球の飛び方が違う

 改めて1シーズンをマイナーで過ごして痛感したことは、厳しい環境下で結果を残すことは本当に大変だということだ。用意される食事はメジャーとは比較にならず、移動距離も長い。球場に到着したらすぐに試合に向けて準備をするなど日程も過酷だった。

 トレードを経験したことで、実はマイナーリーグの中でもさまざまな環境があることがわかった。

 最初にいたレンジャーズ傘下の3Aチーム、ラウンドロックは「パシフィックコースト・リーグ(PCL)」というマイナーリーグに所属する。私はトレード前に23試合に登板して防御率4.24だった。それが、ヤンキースに移籍し、3Aのスクラントンが所属した東海岸の「インターナショナル・リーグ(IL)」では、21試合に投げて防御率1.70と大きく好転した。

 PCLは、いずれも打球が飛びやすい標高の高いロッキー山脈周辺や空気が乾燥した地域に本拠地を置く球団が多く、投手には不利だった。一方のILの試合が行われる球場は湿度も高く、明らかに打球の飛び方に違いがあり、驚かされた。

 そのことを肌で感じてからは、トレード移籍前よりも大胆にストライク先行のピッチングができた。実際、それを裏付ける顕著な数字が四球の数に表れている。

 PCLでは、投球回数の34イニングに対して四球が10個あったが、ILでの登板では42回1/3で四球はわずか4個と減少した。果敢に攻めた“証し”である。

 少し休んでから

 1年目も2年目もマイナーを経験した。それゆえに大変さは体に刻まれていたし、頭でも理解していた。しかも、メジャー契約で40人枠の入れ替わりを待つのではなく、マイナー契約からまずメジャー契約をつかみ取らなければならなかった。若手らとの厳しい競争も強いられた。

 そんな中でも今季の収穫を挙げるとすれば、ベテランと呼ばれる年齢でも、厳しい環境の中で、メジャーが決して遠いものではないと言えるだけの成績を残せたことかもしれない。

 右打者を確実に抑えることがサバイバルを勝ち抜く術だと信じ、常にメジャーのマウンドを想定して投げてきた。マイナーリーグで積み重ねた今季の通算投球回数は76回1/3。私の渡米後のキャリアの中では一番多くのイニングを投げたことになる。

 日米でプロ通算15年目のシーズンを終え、12月には38歳を迎える。春先には腰の張りにも苦しんだ。まずは酷使した体を少し休め、そこから来季の目標をしっかり立ててトレーニングに励みたいと思う。

 今年も応援してくださった皆さん、そしてメジャー昇格を楽しみにこのコラムを読んでくれた皆さんにまずは紙面を通じて感謝申し上げます。(ヤンキース傘下のマイナー、3Aスクラントン投手 建山義紀/SANKEI EXPRESS

 ■たてやま・よしのり 1975年12月26日、大阪府出身。東海大付属仰星高、甲賀健康医療専門学校、松下電器(現Panasonic)を経て99年ドラフト2位で日本ハムに入団。2002年から中継ぎ専門で、04年に「最優秀中継ぎ投手」のタイトルを獲得した。11年から米大リーグ、レンジャーズに移籍。大リーガーの上原浩治、元ラグビー日本代表の大畑大介氏は高校時代の同級生。自宅にワインセラーを持つほどのワイン愛好家。177センチ、78キロ。右投げ右打ち。

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