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科学
【タイガ-生命の森へ-】戻りたくなる「巨大な田舎」
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9月末から10月初旬。紅葉に染まるタイガを訪ねた。出発の際、空港ツアーデスクの女性係員が、度重なるロシアビザを見て尋ねてきた。
「いったいロシアの何がそんなに魅力なのですか。自然? 食べ物? それとも文化?」
これまでの旅のさまざまなシーンが脳裏をよぎり、言葉につまる。が、「空港の方が何をおっしゃいます。全部ですよ!」と答えておく。
語弊を恐れずいえば、ロシア極東のタイガは「巨大な田舎」だ。もちろん、僕にとって田舎とはいい意味で、野性的な自然に囲まれ、食べ物がうまく、何より人と暮らしが面白い土地である。いくら原生の森が広がり、珠玉の川が流れていても、このタイガに快活なウデヘの猟師たちがいなければ、繰り返し足を運ぶことはなかっただろう。
僕の住む北海道もいわば日本の田舎。風景にも人の暮らしにも土の匂いがする。しかしここはスケールがさらに大きく、「生」の実感に満ちている。旅はそのぶん一筋縄でいかず、ジグザグに進むしかないのだが、かすり傷を負いつつ川をのぼるサケのように、なぜか無性に戻ってきたくなるのである。
「僕が訪ねているのは北海道の対岸の沿海地方ですが、こんなに近いのに、何も知らない所もないですしね」。腑に落ちぬ顔の係員にそういってチケットを手にした。
≪今できることに集中 それが生きる鍵≫
この季節、クラスヌィ・ヤール村の猟師は漁猟のほか都会から来るロシア人釣り客のガイドで忙しい。いわばかき入れ時で、日程の合う猟師を探すのは一苦労だ。さらに5年前にタイガで墜落したヘリコプターのパイロットの慰霊碑建立のため、村の猟師が駆り出されるという。幸いその一隻に便乗させてもらえることになり、上流のタイガに入ることにした。
約700キロの碑石、コンクリ袋、燃料のドラム缶、食料など山ほどの荷を積み、3隻で村を出る。
岸を離れた途端、ウスリータイガの彩り豊かな紅葉が果てしない織物のように岸辺を流れだす。落葉した木の上には、もしゃっと枝が重なる「クマ棚」。ツキノワグマが枝を折って木の実を食べた跡だ。
澄み渡る空と川風に包まれ、流れを遡(さかのぼ)るごとに自分の中の野生が目を醒(さ)ましていく気がする。森の中を滔々(とうとう)と水が流れている。人を乗せた小舟が水面を走ってゆく。ただそれだけの風景が、不思議なほどいとしく見える。
出発が昼過ぎにずれ込んだおかげで、陽が傾いてもまるで舟を止める気配がない。
「今日はどこまで行くんだ」。若いワーニャに聞くと「わからない」。そもそも時計を持たない猟師もいる。予定時刻は常に曖昧なのが「ウデヘタイム」だ。
倒木が川をふさいだ場所ではチェーンソーで1本ずつ木を切り水路を確保する。「帰りはここで釣りができる」とベテラン猟師のトーリャが笑う。難所は胴付を履いて腰まで水に浸かり、舟を引いてジリジリと越えていく。
常に変化する自然の中で、分刻みの予定には意味がない。川の遡行(そこう)や狩猟、小屋作り…。厳しい条件に合わせて最終的に物事をやり遂げる猟師の流儀を見ていると、むしろ時間にとらわれ過ぎないことが大切に思える。今、ここで、できることに集中する。それがタイガで生きる鍵だ。水に流されていく舟を立て直すには、その場で自分で竿(さお)を突き立てなければならない。
夕暮れの陽が川霧を赤く染めたのを合図に、何もかもが色を失い始めた。漆黒の闇が舞い降りてくる。車のライトを改造した手製のサーチライトで先方を照らし、浅瀬や倒木を避けて慎重に舟を運ぶ。碑石やコンクリと一緒に冷たい川底に沈むのはごめんだ。
狭い光輪の中、川岸の濡れた木々が異様な迫力で浮かびあがる。船外機の音が虫の声のように止むことなく響き続けた。これは夢なのか-。時間の感覚が無くなる頃、川岸にぼんやりと小さな灯(あか)りが見えた。見覚えのあるハバゴの狩小屋だった。(写真・文:写真家 伊藤健次/SANKEI EXPRESS)
伊藤健次さんがタイガの自然や人々の暮らしを写真とともに語る講演会「北海道とロシア極東のタイガ」が2013(平成25)年11月10日午後2時から、北海道岩見沢市立図書館2階多目的ホールで行われます。写真展も10日まで開催されています。入場無料。問い合わせは岩見沢市立図書館((電)0126・22・4236)へ。