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キノコは想像力の森に生きている おいしいキノコ本の食べ方 松岡正剛
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
今年のマツタケは量は少ないが大振りで、おいしいらしい。日本人は春はタケノコ、秋はマツタケ族になる。もっとも国柄によってキノコの好みはそうとう違う。イギリス人はマッシュルームが大好きなくせにそれ以外のキノコを最近まで食べなかったし、フランス人はトリュフとジロールで、安いものではポルチーニに目がない。イタリアではキノコのことを「フンギ」と言うのだが、ほぼ何でも食べる。パスタとキノコの茹で具合はイタリアの哲学なのだ。
ホクトのCFに「菌活」という言葉が出てくる。スーパーで買い物している鈴木砂羽(すずき・さわ)に若い男が寄ってきて、「ねえ、立派なキノコはどっち?」と迫り、鈴木が手にしたキノコ商品の手を引き寄せると、画面に「菌活・ホクト」という文字が出る。
まさにキノコは菌類である。かつてはリンネに従って隠花植物に分類されていたが、1930年代にバークレイとコープランドが植物から分け出す案を出し、69年にホイッタカーが「生物5界説」を提案して、植物は「光合成」によって、動物は「消化」によって、菌類は「吸収」によって生きているというふうにした。キノコは体外に分泌する酵素によってさまざまな有機物を分解し、これを吸収して「菌活」しているわけなのだ。
ぼくの小学校4年から6年までの担任のセンセイは、あとから知ったのだが、京都を代表するキノコ博士だった。『キノコの女王』『虫をたおすキノコ』『京都のキノコ図鑑』などを著す一方、腹菌類の本格的研究を続けておられた。吉見照一センセイという。ぼくのジンセーに最大の影響をもたらした菌活センセイだ。
吉見センセイが教えてくれたことは、「キノコは木の子」「キノコが森をつくっている」「キノコは他の生きものに頼って生きている」「キノコは互いに扶けあう」ということだった。これはマイコロジー(菌類学)の基本の基本の見方だった。
キノコは環境保持や生活文化に欠かせないだけではなく、われわれの想像力を大いにかきたててきた。たいていの童話にはキノコが登場し、中国本草学を筆頭に多くの薬物や毒物として寄与し、幻覚剤としてはつねにアーティストたちをおかしくさせてきた。ジョン・ケージのキノコ好きはそうとうなもの、ぼくもマース・カニングハムらとキノコ音楽会をたのしんだことがある。
泉鏡花に『茸(きのこ)の舞姫』がある。杢若(もくわか)は、ふいに「実家(さと)に行く」と言って森に入るクセがある。ある夜、杢若は森のキノコたちが神官や天狗や魔王や白拍子となって、祭礼のように踊っているのを見た。その一つを持ち帰ってくると、近所の娘たちが裸同然となって官能的な舞姫になっていた…。こんな目にいつか出会ってみたいものである。
京大菌類学を牽引している小川眞によるキノコ入門書。マイコロジーの基礎もわかるし、話題も豊富で、とてもわかりやすい。キノコは植物と異なる独自の進化を遂げてきた。最初はカビのような生き方を、ついで地中の土壌とともに植物の根と一緒になって生き、最後は空中に胞子をとばすためにニョキニョキと傘型のキノコをめざした。小川はクルベジ(クールベジタブル)やクールフォレスト運動の推進者でもある。炭と森との共生力も訴える。
子供向けだが、ぼくの小学校時代のセンセイによる名著中の名著だ。「虫をたおすキノコ」とは虫に寄生して、虫をのっとる冬虫夏草のことである。センセイが自宅の前の北白川天神の森で見いだしたクモダケを持ち帰ると、中に菌糸にぎっしり囲まれて空洞化したチタテグモが出てきたという話から始まる。センセイは口ぐせのように、植物の生産力と動物の消費力をともにつなげて支えているのがキノコなんだと、何度も強調されていた。
カビもキノコも同じ仲間で、菌糸をもっている。なかで子実体をもつものがキノコと総称されてきた。形で分けるなら、担子菌のシイタケ風に傘を広げるもの、腹菌類のキクラゲ風に奇抜な恰好をとるもの、子嚢菌のチャワンタケのように椀状になるもの、それ以外のものとなる。ぼくは粘菌にぞっこんだ。高速度撮影の粘菌生活史を見たときから魅せられて、ことあるごとに粘菌生活が理想だと説いてきた。
若いころによく喋りあっていた飯沢耕太郎は、そもそもが写真史を専門にしていたのだが、いつのまにかキノコに詳しくなっていた。さらには本書のキノコ文学の選択力など、他の追随を許さないほど冴えてきた。今昔物語、正岡子規の短歌、泉鏡花『茸の舞姫』、夢野久作『きのこ会議』、北杜夫『茸』、加賀乙彦『くさびら譚』、村田喜久子『茸類』などを収める。どれも幻覚キノコで酔ったような気分にしてくれる。召し上がれ。