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服飾、アート…多様性感じる「青参道」(5-2) 異質が存在しうる社会をつくりたい

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服飾、アート…多様性感じる「青参道」(5-2) 異質が存在しうる社会をつくりたい

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「アッシュ・ペー・フランス(HPF)」代表、村松孝尚さん=東京都渋谷区(宮崎裕士撮影)  【だから人間は滅びない-天童荒太、つなげる現場へ-】

 ≪「アッシュ・ペー・フランス(HPF)」代表 村松孝尚さんに聞く≫

 村松孝尚さん(以下村松) 今日はお会いするのを楽しみにしていました。昔、書店で彫刻家・舟越桂さんの作品を表紙に使った『悼む人』を見かけて。舟越さんの作品を使うなんて、どういう感性の人なんだろうって。

 天童荒太さん(以下天童) 僕はまったくファッションに疎いんです。でもそれではいけない、人間にとって重要な衣食住の「衣」、つまりファッションをきっちり見つめることが、今大切なんじゃないかと、勘のようなものが働きまして。この連載は「つなぐ、つながる」をキーワードにしていますが、「ファッション」に対して、「つながる」というイメージはあまり持たれていないように感じます。そんな中、アッシュ・ペー・フランスは服飾だけでなく、インテリアやアートまでを扱って、日本と世界をつなぎ、これから輝くだろうものや今まで埋もれていたよきものと社会とをつないでいる。そんな仕事をされている村松さんとお話することで、地域社会を含めた日本のあり方が見えてくるのではないか。そう思って、今日はうかがいました。

 まず社名ですが、アッシュ(H)はフランス語の子音で、発音されない。そういう言葉をもってきたのは、どういう意味なのでしょう。

 出版社から婦人服店主に

 村松 最初は小さな出版社にいたんですが、給料が6万円で、結婚して子供もいたら食べていけない。たまたま家内が洋服屋につとめていて、オーナーが自分は引退するので店を買わないかと。それでファッションの世界に入った。

 家内に全部仕入れから何から教えてもらって、始めたのが原宿のラフォーレだった。原宿(Harajyuku)でやる仕事(Project)だからHP。原宿は日本中から若い人が集まる場所。いわば日本の思春期で、エネルギーがニキビのように噴き出していた。原宿から新しいものが生まれるんだと。そういう存在でありたいとの思いを込めました。

 でもそのうち、小さな箱の中で洋服屋をやっているのに飽きてきた。外に出たくてしょうがなかったんです。そんなとき、たまたま学生時代の知人に再会して、彼の奥さんがパリで帽子を作っているから扱ってくれないかと。「これでパリに行ける!」と思いました(笑)。

 パリで出会ったのが、帽子や指輪、バッグとかをいろんなデザイナーから集めているフランソワーズという女性のバイヤー。当時、アクセサリーの価値は、金の重さや宝石の大きさで決まっていたのですが、彼女が集めてくる指輪は、針金でぐるぐる巻いたようなもの。でも、そこにはクリエーション(創造性)という価値があるんですね。バッグっていうのは、物をいれるものだと思うけど、そうじゃない。おしゃれという、全体を作るための部品なんだと。そういう物の見方を彼女が全部教えてくれました。

 で、東京に持って帰るんですけど、在庫の山になる(笑)。経理担当者に「2000万円やるから、これを使い切ったら終わりにしてくれ」と言われて、また会社を作った。HPに、フランスを付けて、「アッシュ・ペー・フランス」。

 僕はもともとファッションを分かっていて、ファッションの仕事をしたのではなかった。出版社では今でいうカルチャー誌をやっていたんですが、オルタナティブ(現在あるもののかわりに選びうる新しい選択肢)という考え方がテーマだった。オルタナティブの原型っていうと、ヒッピー。ヒッピーっていうといろんな説明の仕方があるので難しいんですけど、僕は「新しい考え方、生き方」だと思う。つまり、テーマでいえば、出版社と30過ぎてから始めたファッションの仕事はつながっているんです。

 天童 村松さんはかつて魚河岸で働いていたり、ホテルの皿洗いをしていたこともあると。過去のインタビューで「魚河岸より稼げると思って婦人服のお店を買った」とおっしゃっているんですけど、ファッションのファの字も知らない人がなぜそう思えたのか。普通、思えないし、素人が怖くてお店なんて買えないですよ。よりにもよって婦人服という知らない仕事をなぜ選択したのか、なぜやる気になれたのか。大ポイントだと思うんです。

 村松 なんであの話受けたんだろう…いろんなことを考えないでやってきていますね…。気の利いた答えがないんですけど(笑)。僕は長野の山奥の出身で、自分でズボンなんか買ったこともない。自分の原風景にファッションという要素は全くなかったぐらいなので。

 妻もビックリの決断

 天童 自分の可能性を探ることが大事だと気づいたとき、人はたいていまず自分がクリエーターになろうとする。でも、村松さんは紹介する側に回った。

 村松 自分でこういう役割をしようと決めたわけではないんです。でも、今振り返ってみると、人からいただいた話は断っていないですね。家内も、まさか僕があの話を受けるとは思わなかったって(笑)。パリのフランソワーズにしても、あれ買えこれ買えって、言われた通りにしてきただけ。自分で全部決めてるんだけど、その反対、自分では何も決めていない。出会った人との何かで決めていく。

 天童 自分では決めずに、ここまで大きな組織に…って意外な感じですね。立志伝が書きにくいじゃないですか(笑)。人を発掘することに自信があったのですか?(取材・構成:塩塚夢/撮影:宮崎裕士/SANKEI EXPRESS

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